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ライトノベルのシリーズ化、分冊化

 昨日、何とはなしに清涼IN流水と書いてみたら、秋山の脳裏に到来するものがあり、今日はそれを使って徒然と筆を執ってみんとす。
 まずはシリーズについて考えてみよう。秋山の中で、シリーズと言えば、それは連載小説という意味合いが強く、古くは『宇宙皇子』であったり『グイン・サーガ』であったり、あるいは『グリーンマイル』であったり『トップラン』であったり、はたまた「戯言シリーズ」であったり「鏡家サーガ」であったり、「ケイオスヘキサ三部作」であったり「ブギーポップシリーズ」であったりする。
 さて、上に挙げた計八作は、「続き物か否か」という点において、明確に分離できると思う。つまり、最初の四作品は続き物としての色合いが強く、後ろの四作品は単発物としての色合いが強い。例えば、「『宇宙皇子』の天上編の八巻が好きです」や「『グリーンマイル』の三巻が好きです」と言われても思わず首を捻ってしまうが、「『水没ピアノ』が好きです」や「『クビシメロマンチスト』が好きです」というのは比較的判りやすい。続き物的なシリーズは、全巻揃った状態でひとつの小説であるのに対し、単発物的なシリーズは、数ある巻のうち一つを抜き取ってしまっても小説になるからだ。


 さて、ライトノベルというジャンルにおいて、刊行される作品の大半がシリーズ物だ。とりあえず手許にある電撃文庫富士ミスで統計を取ってみようか。

月:シリーズ作品/全作品
電撃文庫
06:9/9 07:10/10 08:10/11 09:12/12 10:11/11 11:11/11 12:8/9
富士見ミステリー文庫
06:5/5 07:3/3 08:4/4 09:4/4 10:--/-- 11:--/-- 12:8/8

 今現在、二巻以降の刊行が決まっているものと、雑誌に短編が連載されたものはシリーズ作品としてしまったが、予想以上にシリーズ作品は多い。電撃文庫では8月に『クリスタル・コミュニケイション』、12月に『バウワウ!』があるだけ。約百近いライトノベルのうち、シリーズ物でないのは、僅か二冊しかない。
 重ねて言うが予想以上にシリーズ作が多い。ライトノベルというジャンルを考える上で、シリーズに関しては避けては通れない道だろう。


 分冊の話に入る前に「どうしてシリーズ化するのか」について考えておこう。
 秋山は出版業界その他に詳しいわけではないので、明確な理由は知らないが、すぐに思い浮かぶところでは「楽に稼げる」からではないだろうか。勿論、アマチュアながら小説らしきものに書いている秋山としては、シリーズであっても長編小説を書くのが「楽な仕事」だとは考えていない。しかし、売るほうとしては、つまり出版社・編集部側としては「一巻がこれだけ売れたのだから、二巻もこれぐらいは売れるだろう」という見通しがあるのは間違いないだろう。
 典型例は上遠野浩平による『ブギーポップ』だ。このシリーズ、個人的に好きなのは六巻の『夜明けのブギーポップ』までだ。それ以降はどうも超能力を持った人間たちが、互いに能力を駆使して戦うだけの小説になっている気がして、シリーズの前半に比べたら好きではない。しかし、最新刊が出たらやはり買うだろう。特殊能力バトルにいよいよ傾倒してきたとして、買ってしまうだろう。
 秋山の他にも、例えば「一巻、二巻と買ってきたから、とりあえず三巻も買うか〜」と最新刊を手に取ってしまう読者は多いと思う。こういう買い方を、俗に「惰性で買う」と言う。少し前では、ライトノベル板でも「来月の新刊、何を買うか」という話題になったときに「惰性で」というのは、ある種、枕詞的に多用されていた。最近は……どうだろ。
 シリーズ化には、もうひとつ利点があると考えている。具体例を見てもらおう。

うえお久光悪魔のミカタ電撃文庫
1巻:2月刊行
2巻:4月刊行
3巻:6月刊行
4巻:7月刊行
田代裕彦『平井骸惚此中ニ有リ』富士見ミステリー文庫
1巻:1月刊行
2巻:4月刊行

 上に挙げた作品は、どちらもこの作家のデビュー作である。
 一作を書き上げるのに必要とする時間、一冊を作るのに必要とする時間、刊行した本がどれぐらい売れたのかを知るのに必要とする時間。これらの時間がどれぐらい掛かるかは不明だが、少なくとも三ヶ月以上は掛かるだろう。ここで、うえお久光の一巻刊行から二巻刊行の期間を見てほしい。二ヶ月である。電撃文庫に比べ、パワー不足の否めない富士ミスから出ている、田代裕彦の一巻刊行から二巻刊行の期間を見てほしい。三ヶ月である。
 このスケジュールを実行するには、どうしたらいいか?
 答えは単純で、刊行した本がどれぐらい売れたのかを知ってから、次の本作りに入るのではなく、読者の反応を待たずに書きつづける、だ。
……と言葉にすると一見、簡単そうだが、その実どうなのだろう。書く方は書く方で大変だろうが、それ以上に編集部に掛かるプレッシャも凄いのではないだろうか。前述した『ブギーポップ』の最新刊となれば安心して続きを出せるが、無名の新人の新刊を、売れ行きが確保されていないうちから出していくのは、危険極まりないのではないか。それとも、売れることを信じて新刊を出しつづけるというのは、リスクを負うに見合う価値があるのか。


 仮に“リスクに見合う価値がある”としよう。
 その理由として秋山が考えているのは『キノの旅』の存在だ。
 この作品は、今では人気に溢れており、電撃文庫の目玉作品と言っても過言ではないだろう。ゲーム化もアニメ化もされ、他にも様々なグッズが作られ、売れている。しかし、それが編集部の目論んだことなのかと言えば、そうとは思えない。
キノの旅』は元々、電撃ゲーム小説大賞に応募され、選考途中ではじかれた作品だ。その後どういう経由か、編集部の目に止まり、電撃hp誌上に掲載された。そこからだ。読者の反響から文庫化に至り、シリーズが重ねているうちに、どうやら人気作品だと判明した。
 レビューサイトで散見される意見だが、『キノの旅』はけして上手い小説ではない。描写においても展開においても、人気作品が持っているような空気はない。だけれど、何故か人気になり、何故か売れている。その理由は判らない。
 ところで文章的に、積極的に上手いとは言えない小説で、『キノの旅』以外にも売れている作品は多い。例えば『月とあなたに花束を』『吸血鬼のお仕事』などだろうか。どちらもつまらないわけではないが、面白いかと問われたら、どうだろうかと首を捻るような代物で、これが人気作品で売れていると言われたら、驚いてしまう。
 十代でかつ、月に二十冊のペースでライトノベルを読んでいる秋山が驚くのだから、編集部も当然、驚いているのではないかと推測する。驚いて、そしてどうして売れるか判らないままに手さぐりで探して、その手段として「いきなりシリーズ化」があるのではないだろうか。


 順を追って説明すれば、こんな感じだ。

1:出版レベルに達している小説があるが、売れるかどうかは定かでない。
2:とりあえず作家に書かせまくって、三作ほど売る。
3:それなりに売れている、人気が出ている。作家にさらに書かせる。
3’:思ったより売れていない、人気も出ない。打ち切り

 こうしてみると痛々しい。しかし、一巻の評判が編集部に届く前に、二巻を出してもらえるというのは、作家にとってはよい条件だと思う。一冊だけ出して消滅に比べれば、ひとつのシリーズだけしか書かせてもらえない&使い潰される、の方がよっぽどいいのではないだろうか。
 ちなみに秋山個人の感想としては、今まで資金にものを言わせて、売れてないと思われるシリーズもどんどん出させていた電撃文庫が、最近は渋る傾向にある模様*1逆に富士ミスは挑戦している。今まで月に四冊前後だったのが、ブースト計画後は二倍近く出している*2
 余談だが秋山は「インターネット上の口コミは、ライトノベルの売り上げに影響する」という考えに懐疑的だ。理由は前述の『キノの旅』などがフォローされていないから。……この問題に関してはエッセイを書いて、波状言論に投稿したので、通ったら波状言論に掲載され、落とされたらここで公開しよう。余談おわり。


 それでは、本題の「どうしてライトノベルは分冊するか」に入る。今までで充分に長いが、シリーズ化云々は前フリ。ここからなのですよー。


 分冊――という言葉が具体的にどういった意味を持っているかは不明だが、秋山は「一冊の本にまとめられるところを、二冊の本にして刊行する」という意味で捉えている。つまり、400ページで刊行できるところを、少しずつ水増しして、220ページの上巻と220ページの下巻と、分けて刊行するようなことを分冊と表現している。
 今回、注目したいのは、一般的な上下分冊ではなく、シリーズの中における上下分冊。つまり、単発物的なシリーズの中において、続き物的な分冊があることに注目したい。

値段 ページ数 タイトル
西尾維新戯言シリーズ
980 379p クビキリサイクル
980 379p クビシメロマンチスト
780 195p クビツリハイスクール*3
840 242p サイコロジカル(上)
880 292p サイコロジカル(下)
1200 475p ヒトクイマジカル*4
殊能将之
1300 542p 美濃牛

 上の図の中で注目してもらいたいのは、上下巻に分冊されている『サイコロジカル』。上巻と下巻のページ数を単純計算で加算すると、534ページ。そして値段は1720円。偶然、手許にあった『美濃牛』と比較してみると、美濃牛の方が長いのに400円近くお買い得になっている。
 また『サイコロジカル』と同時期に刊行された「少年名探偵虹北恭助シリーズ」も『新冒険』と『新・新冒険』の二冊に分冊されている。そして、こちらの後書きにおいて、著者のはやみねかおる氏は、担当編集者*5が「一冊に収まらないから、二冊に分ける必要がある」と言ったから、『新冒険』と『新・新冒険』の二冊に分けたと書かれていた。ちなみにこの二冊は、どちらも薄く、『サイコロジカル』と大差ない。したがって『美濃牛』並の分厚さになってしまうが、製本できないことはない。
 もうひとつ、こちらのデータも見てもらおう。

うえお久光悪魔のミカタシリーズ』電撃文庫
570 325p 1魔法カメラ
550 297p 2インヴィジブルエア
510 229p 3パーフェクトワールド・平日編
530 273p 4パーフェクトワールド・休日編
690 425p 5グレイテストオリオン
490 225p 6番外編・ストレイキャット ミーツガール
510 240p 7番外編・ストレイキャット リターン
510 239p 8It/ドッグデイズの過ごしかた
510 235p 9It/ドッグデイズの終わりかた
610 351p 10It/スタンドバイ
690 449p 11It/ザ・ワン
川上稔AHEADシリーズ電撃文庫
750 482p 終わりのクロニクル2下

 先ほどの『サイコロジカル』と異なり(上)(下)とないので、やや判りづらいが、サブタイトルを見ていれば、自ずと上下巻の関係にある巻がどれだか判ると思う。最後にさりげなく載せた川上稔の作品は、電撃文庫最長にして限界までページ数を伸ばした一冊だ。換言すれば、482ページ以下ならば、一冊にまとめあげることができるということ。再換言すれば、一冊にまとめあげることができるのに、何故か分冊しているということ。
 さて、どうして分冊するのか?
 これがそもそもの問題だ。どうしてライトノベルは分冊するのか?


 理由の一端として挙げられるのは印税・原稿料の存在と、前述した「とりあえずシリーズ化してみる」という編集部側の姿勢だろう。
 秋山はこの他に大きく二つの可能性を考えている。
 一つはイラストだ。これに関しては、紅蓮魔さんにメールを打ち、紅蓮魔さんのサイトで既に紹介されているので、既読の方もいると思うが、だからと言ってすっ飛ばすわけにもいかないので改めて説明する。
 2chライトノベル板における名無しは「イラストに騙された名無しさん」だが、実際、イラストに騙されてライトノベルを買う人間は多い。……まあ、騙されたと思うかどうかは個々人によるだろうが、書店でライトノベルを買うときに、イラストを基準のひとつに設定している人は少なくないだろう。イラストと言っても、モノクロの挿絵ではなく、フルカラーの表紙、そして口絵の方だ。小説は実際に読んでみるまで面白いかどうかは判らないが、イラストは一目瞭然の力を持っている。店頭で積まれている本のうち、どれか一冊を買おうと思ったとき、自然と上手かったり萌える絵の表紙の本を取るのは、不思議ではない。
 これは余談だが、口絵などに登場人物紹介が絵入りであるものは、個人的に好きだ。別に本を読まない人間は想像力が貧困とかそういう問題に興味はないが、イラストレイターによるキャラクタごとのイラストはあった方が、読みながら楽に想像して楽しめるだろう。
 ではこのイラストの問題が、分冊にどう絡んでくるのかと言えば、それは簡単で、冊数が増えれば、それに比例してカラーの表紙絵と口絵が増える、それだけだ。例えば、ライトノベルにおいて人気のあるイラストレイターと言えば、思いつくところで『キノの旅』『サモンナイト』の黒星紅白、『イリヤの空、UFOの夏』『まぶらほ』の駒都えーじこつえー)などではないだろうか。他には、緒方剛志椎名優たけひといとうのいぢヤスダスズヒト、などもいるだろう*6
 人気の高いイラストレイターをシリーズの一巻に起用すれば、とりあえずその一冊は売れるだろう。まあ、その後は作家と編集者の腕の見せ所だが。
 分冊する理由の二つ目は、読者が感じる時間の流れだ。これはニュアンス的なものなので、賛同を得るのは難しいかもしれないが――たとえば一般的な、働いている大人は、中高生や大学生に比べて忙しく、あまり本を読むのに時間が割けない。したがって、どちらかと言えば、作者がそれまでの人生のすべてを盛り込んだ渾身の一作を良しとし、あまり内容の薄い本を読んで時間を無駄にするのは好まない。ゆえに、大人を読者層としている作家は、一年に一回ぐらいの頻度で傑作を書けばいいわけで、じっくり腰を据えて書けばいい。
 対してライトノベルの主な読者である中高生や大学生はと言えば、コンスタントに新刊を出さなければ忘れられてしまう。ライトノベル市場は、非常にスピーディで、半年でも間が空いたら忘れられてしまい、一年も新刊を出さないものなら、その作家はいなくなったこととされてしまう。……と、大げさに書いてみたが、これはどちらかと言えば新人に限る。一年に数作しか出さないライトノベル作家は勿論いるわけで、彼らは寡作家として認められている。勿論、ライトノベル的に寡作家であっても、一般的には充分、はやい部類に入るだろう。
 つまりライトノベル読者と、そうでない本読みとでは、本に求めている質と量が違う。片や、質を求めているのに対し、片や、量を求めている。勿論、量を求めているライトノベル読者も面白ければそれに越したことはないが、適度に楽しめて、適度に笑えて、適度に萌えられたらそれでいい――と考えているのではないだろうか。ではないだろうか、と言うか秋山はそうだ。息抜き的に読んでいるので、いい感じに面白く読めればそれで問題ない。そしてそれこそが、ライトノベルのライトである所以ではないのだろうか。質よりも量を重視し、薄っぺらい一冊の本が数ヶ月に一回の頻度で出される。その軽さがライトノベルの魅力だろう。


 以上、現状分析。
 ここからは秋山なりに思う「いい分冊/悪い分冊」について徒然と書かれた蛇足。


 まずはこちらの写真をご覧ください。フラッシュを焚いたら表紙が光ってしまってどうしようもないので、フラッシュなしで撮った。見づらいかも。

 うえお久光悪魔のミカタ3パーフェクトワールド・平日編』『悪魔のミカタ4パーフェクトワールド・休日編』

 清涼院流水『コズミック 流』『ジョーカー 清』『ジョーカー 涼』『コズミック 水』『Wドライブ 院』

 上の写真は秋山の部屋にある本の中で「いい分冊」を撮ったもの。他に『灼眼のシャナ3&4』『ウィザーズ・ブレイン4』『ストーム・ブリング・ワールド』なども「いい分冊」だが、『悪魔のミカタ』と被るので割愛。
 上に挙げた本が、何故「いい分冊」なのかは、もうご覧の通りというか、一目瞭然。一言で言えば「並べて楽しめる」。特に清涼院流水の『コズミックジョーカー』この四冊は、縦に並べても横に並べても楽しめるし、『Wドライブ』を挟めば背表紙でも楽しめる。内容は勿論、この装丁は素晴らしい。
 また『コズミックジョーカー』に関しては、分冊するのに確固たる理由がある。勿論、分冊しないと一冊の文庫本にできないほど長いという理由もあるが、それ以外に『コズミック 流』→『ジョーカー 清』→『ジョーカー 涼』→『コズミック 水』という順番で読んだ方が面白いという利点がある。どういうことかと言うと、『ジョーカー 清涼』の時点では生きている人間が『コズミック 水』では死んでいるのだ。ゆえに、もし『コズミック 流水』→『ジョーカー 清涼』という順番で読むと、最初から「ああ、こいつ途中で死ぬから犯人じゃないな」なんて醒めた視点で読めてしまうわけだ。また『コズミック 流』は絶対に再読したくない一冊だが、一読目&流水大説初体験者に限り、想像を絶する面白さを誇る。そして壮絶に面白い『コズミック 流』の解決編であり、超絶に面白いと予想される『コズミック 水』を読む前に『ジョーカー 清涼』を読まなければならないという、その甘美なるお預け感が、一読目&流水大説初体験者に限って味わえるのだ。
 どうでもいいが、「いい分冊/悪い分冊」というネーミングは、清涼院流水の言う神人/獣人、奇術師になれる人/奇術師になれない人、などの安易な二元論に、背徳的なリスペクトを示している*7


 結論、あるいは蛇足の蛇足。
 ライトノベルに分冊が多いのは、カラーイラストのため、そして編集部の方針だろうと思われる。今後もページ数の少ないシリーズ作品が、ライトノベル市場を占めそうだが、その中を生き延びるには、付加価値が必要だろう。
 一例として上には「表紙で遊べる」「意味のある分冊」を挙げた。
 他にも「イラストレイターによる設定資料集」なども有効だろう。
 以上。

*1:例えば『桜色BUMP』は、2003年に始まったシリーズだと言うのに、イラストレイターのサイトを見るかぎり、打ち切られたらしい。

*2:改めて確認してみれば、二月、三月と元の四冊ペースに戻っていた……

*3:密室本。袋綴じ装丁により、値段高め

*4:リバーシブル表紙により、値段高め

*5:Jこと太田克史西尾維新の担当編集者でもある。現在はファウスト編集長

*6:電撃文庫には、黒星紅白たけひとを足して三とか四で割ったようなイラストレイターが何人かいるので、この二人は特に人気なのかもしれない

*7:うわ、ほんとにどうでもいいな