雲上ブログ〜謎ときどきボドゲ〜

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ライトノベルという名の小宇宙

 ここ最近に読んだエントリが、頭のなかでかたちを作ったような気がするので、気まぐれに書いてみます。

言ってみれば、2種類の黄金パターンの組み合わせです。「展開様式」と「展開順序」の黄金パターンを組み合わせれば、事実上無限の(遊びつくせない程度の)組み合わせが得られるんじゃないかと思いました。

知り合いの絵描きさんが「分類なんてナンセンスで、それは壊していくべき壁だと思う」と云っていた。

 後、どこで見たか忘れてしまったのですが「最近は無意識のうちに学園物を読んでいる。例えば今月のMF文庫Jの新刊では、ファンタジーの『聖剣の刀鍛冶』を真っ先に購入予定から外し、逆に学園を舞台とした『ヒトカケラ』は多分、買う」というようなエントリと「ニコニコIDを持ってない人間にとってニコニコとの接点は、はてブ人気エントリーに上がってくる動画のタイトルのみ。数ヶ月間、ニコニコにアップされた動画のタイトルだけ見た結果として、手を替え品を替え同じことを繰り返しているように見える*1」というようなエントリも印象深かったです。

最初に結論

 仮に一般文芸が文学とエンターテイメントによって構成され、エンターテイメントのなかにミステリやSFといった様々なジャンルがあるとすれば、ライトノベルはこの一般文芸の縮図ではないかと、思いました。

一般文芸の古今東西

 小説の歴史のことはよく知らないので、多分に想像を交えることになりますが。
 日本最古の物語は『竹取物語』だと言われています。したがって、小説……と言うか、物語の黎明期においては『竹取物語』が唯一の物語だったのです。当然、ただひとつしか存在しないので、他の何とも比較することは出来ず『竹取物語』は文学的だとも大衆的だとも言うことができません。
 ところがしばらくして第二の物語、第三の物語が生まれます。もしくは伝説や伝承、ばっちゃの昔話などが物語として認識され、『竹取物語』との比較がなされます。この時代においては、こっちの方が面白い、こっちの方が硬いといった比較分析がなされたかもしれません。しかし、恐らくはまだパターンの変形に過ぎなかったのではと思います。勧善懲悪であったり、訓戒であったり、根幹をなすコードには差がなかっただろうと思います。
 で、時代は流れて『源氏物語』が平安時代に書かれ、鎌倉時代に入る頃には、だいぶ多様化が進んでいたと思います。と言うのも『平家物語』は軍記物語の代表格とされており『源氏物語』とはかなり色合いが異なります。穿った見方をすれば、恋愛小説の『源氏物語』に対する戦争小説の『平家物語でしょうか。両者は同じ小説ではありますが、まったく違ったコードを持っています。つまり『竹取物語』『源氏物語』『平家物語』この3つの作品だけを歴史から抽出して見ると、『竹取物語』に端を発し『源氏物語』へと続く物語という名の一本の道は、しかし『平家物語』を境に二本に分かれたのです*2
 さて、あまり昔の話をすると無知がばれるので、一気に時代を駆け上りましょう。この後、日本における物語・小説は分岐を繰り返し、どんどんその道を増やしていきます。もちろん、この現象は日本だけでなく世界中で起こっていて、たとえば1841年にエドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人』が書かれ幻想文学からミステリという道が生まれ、ジュール・ヴェルヌH・G・ウェルズによってSFの道が生まれました。
 最近でも新たな道が生まれることはあって、たとえばケータイ小説なんかはわりと新しく作られた道と言えると思います。

コードとパターン

 前項においてさらっと使った、コードとパターンという言葉を、ここで説明したいと思います。
 ここで言うコードとは規定のことで、ジャンル小説風に換言すればお約束の意です。id:standbyさんの言うところの「展開様式」に近しいものがあると思います。
 分かりやすくするために、具体例を示したいと思います。

王道ファンタジーというジャンルにおけるコード:魔王は勇者に勝てない。
本格ミステリというジャンルにおけるコード:密室は最終的に破られる。
スプラッタ映画というジャンルにおけるコード:異常な量の返り血。
純愛エロゲーというジャンルにおけるコード:ヒロインは処女でも痛がらない*3

 ここに挙げたのは、ほんの一例で、実際にはもっともっとあります。王道ファンタジーの場合「剣と魔法が出てくる」「ゴブリンは弱いがドラゴンは強い」「アンデッドは火に弱い」などが挙げられると思います。
 で、こういった暗黙のお約束=コードの集合体こそが、ジャンルの正体ではないかと考えています。
 つまり「剣と魔法が出てきて、ゴブリンが弱く、ドラゴンが強く、アンデッドは火に弱く、魔王が勇者に負ける」小説こそが王道ファンタジーではないか、と。
 とは言え、実際にファンタジー小説に目を向けると、剣は出てくるけど魔法は出てこないものや、ドラゴンが致命的に弱いものもあると思います。そういうのはファンタジーはファンタジーだけれど王道ファンタジーとは呼びがたい、と思います。ちなみにこれは否定的にではなく、創造的に捉えていただけると嬉しいです。つまり、ファンタジーという大きな道から、王道ファンタジーという道が分かたれていて、そこからさらに魔法の出てこないファンタジーという道が分岐した……と。
 コードに関してはこれぐらいにしておいて、パターンにも目を向けましょう。
 こちらはstandbyさんの言うところの「展開順序」と同じです。
 たとえばレベル1の勇者が王様からの命令で魔王を倒すことになったとして、旅立ちというオープニングから、帰還というエンディングまで、どういった展開を追うか=どのようなパターンで物語が進むかと言うことです。城下町で装備品を揃えるところから始めるのか、それとも手っ取り早く最強の傭兵を雇ってしまうのか、隣町にいる未来の仲間をどのタイミングで迎えに行くのか。
 ロマサガにおけるフリーシナリオシステムが分かりやすい例かもしれませんね。とりあえず下水道に行くか(下水道は俺の嫁)、なにはともあれ敵を避けまくって仲間と強いアイテムを揃えるか、もちろん三地点制覇を目指すか、石化剣さえあればいいか、とか。

ジャンル読者の存在

 話を戻しましょう。
竹取物語』から始まった物語が『平家物語』を経て二本に分岐し、その後、様々な作家や作品を経て、様々なジャンルが生まれました
 ところで、戻した話を一瞬で逸らしますが、今、このエントリを読んでいる方に質問します。どうしてこのエントリを読まれていますか? や、聞いておいてなんですが、大体、以下の3つだと思います。

1)普段から雲上四季を見ている。
2)検索で引っかかった。
3)ニュースサイトやブクマ経由で見にきた。

(1)と(2)のひとは脇に置いておいて、仮に(3)のニュースサイトやブクマ経由でやってきたとしましょう。
 また、果たしてこのエントリがニュースサイトに捕捉されるのか、ブクマされるのかは不明確ですが、仮にされたとしましょう。
 その場合、このエントリと並列して他にも多くのエントリが並んでいるはずです。どうして、それらのエントリは見ずに、このエントリを見に来たのか。それはもしかしたら、ニュースサイト管理人の一言コメントに触発されたからかもしれませんし、ブクマ数が多かったからかもしれません。けれど、その一方でライトノベルという名の小宇宙」というタイトルに惹かれてクリックしたひとも少なくないと思います
 よし、ここで話を戻します。
 もう一度、質問します。5時間ほど暇が出来たとします。ちょっと書店に行って、てきとうに面白そうな本を見繕って、スタバで読書して時間を潰すとして、どのような基準で本を選びますか? 今度は、以下の9つぐらいが主な理由になるかと思われます。

1)作家で選ぶ→好きな作家の新刊が出ていた。読もう。
2)値段で選ぶ→安い。読もう。
3)表紙で選ぶ→素敵なデザイン・イラストだ。読もう。
4)叢書で選ぶ→面白い作品の多い叢書の新刊が出ていた。読もう。
5)出版社で選ぶ→好きな出版社から新刊が出ていた。読もう。
6)あらすじで選ぶ→あらすじを読んでみたら面白そう。読もう。
7)特典で選ぶ→フェア実施中でプレゼントが貰える。読もう。
8)帯で選ぶ→好きな作家が推薦していた。読もう。
9)ジャンルで選ぶ→好きなジャンルの新刊が出ていた。読もう。

 ふう、概ねこんな感じですかね。さて、先ほどと同じように、(1)から(8)のひとはざっくり脇に避けておいて、ジャンルで選んだひとについて考えてみましょう。
 表紙買いならぬジャンル買い
 ひとはどうしてジャンルで買う本を決めることがあるのか?
 それはそのジャンル、ひいてはそのジャンルを構成しているコードが好きだから、ではないでしょうか。つまり、エントリタイトルに「ライトノベル」という言葉が見えたから、とりあえずニュースサイトからこのエントリを読みにきたひとがいるように、「ミステリ」という言葉が見えたから、とりあえず買ってみるミステリ読みがいるからではないでしょうか
 どうしてそんな風に思うのかと言うと、手前みそで恐縮ですが、秋山自身がそうだからです。
 さすがにミステリを全部読もうとすると時間が足りませんし、お金も掛かって大変ですが、国内本格ミステリの新刊に限れば、なんとか読めないこともないです。
 また、ネット上を見てみると、秋山と同じようにとりあえずミステリだからという理由で読んでいるひとは他にもいますし、またSFや文学にもいます。ケータイ小説だってそうじゃないですかね。ケータイで気軽に読めるから、もしくはリアルだからという理由で、他のジャンルは読まないけれど、ケータイ小説は読む読者は、わりと多そうです。

ライトノベルにおけるジャンル読者

 長くなりましたが、ようやくライトノベルに関してです。
 冒頭に挙げた「最近は無意識のうちに学園物を読んでいる。例えば今月のMF文庫Jの新刊では、ファンタジーの『聖剣の刀鍛冶』を真っ先に購入予定から外し、逆に学園を舞台とした『ヒトカケラ』は多分、買う」というようなことが書かれていたエントリを見たとき、けっこう衝撃を受けました。
 いや、考えてみれば至極当然の話なんですけれども、ライトノベルってもはや一ジャンルとは、言い難いところがありますよね。
 いま、MF文庫Jの今月の新刊を見てみたのですが、もし秋山がミステリ読みではなく、ライトノベルのみに特化した本読みであれば、新人デビュー作の『アストロノト!』と『ヒトカケラ』、そして『上等。』シリーズで有名な三浦勇雄の新シリーズ1作目『聖剣の刀鍛冶』を買っていたと思います。また、もしそれまでのシリーズを追っていたならば、『イコノクラスト! 8』と『PiPit!! 〜ぴぴっと!!〜 2』も買っていたかもしれません。けれど逆に『かのこん 8 〜コイビトたちのヒミツ〜』『陰からマモル! 11 うらしまゆーな』この3冊はスルーしていだろうなと思います。理由としては、ドタバタコメディやギャグがそれほど好きではないからです。いえ、別に嫌いというわけではなくて、読んでいる最中は面白くて笑ったりもするのですが、読み終えた後になにかしら心に残るものが好きなのですよね。後は、熱い作品が好きです*4
……と言うのは、実は今、考えたことです。
 ミステリを取り扱ったものであれば「ミステリだから」という理由で買っていましたが、それ以外のライトノベルに関しては、無意識のうちにギャグだから読まない、熱そうだから読むと仕分けていたように思います。
 驚いたのはこの無意識性にこそです。
 まったく気づいていませんでしたけれど、秋山は「心に残る」であるとか「熱い」といったコードを持った小説が好きな、ジャンル読者だったのです。

一般文芸という大宇宙、ライトノベルという小宇宙

 そして、冒頭に挙げた結論です。
 日本における一般文芸が『竹取物語』から始まり、多様に分岐したジャンルによって構成されたものであるとしたとき。一般文芸に含まれるライトノベルはしかし、もはや一ジャンルとは言いがたいほどに大きくなり、ある種の小宇宙と言えるのではないでしょうか

追記

「最近は無意識のうちに学園物を読んでいる。例えば今月のMF文庫Jの新刊では、ファンタジーの『聖剣の刀鍛冶』を真っ先に購入予定から外し、逆に学園を舞台とした『ヒトカケラ』は多分、買う」というくだりだけ覚えていたエントリですが、思い出すことが出来ました。id:kongou_aeさんでした。以下、該当部分を引用させていただきます。

 さらに言えば、新しく読み始める作品を選ぶときも学園ベースの作品を選んでしまう。時雨沢恵一の作品やインデックスはなんか読む気がしない。今月のMF文庫Jの新刊を何か買おうとしたとき、真っ先に候補からはずしたのは『聖剣の刀鍛冶(ブラックスミス) (#1) (MF文庫J (み-01-09))』で、おそらく『アストロノト!』か『ヒトカケラ』を買うだろう。

 思い出すことができて、すっきりしました。

関連エントリ

 ジャンル考察やライトノベル考察は、過去において何度か試みています。
 秋山のライトノベルは一般文芸に含まれるという認識は、ライトノベルサイト界隈においては特異であるらしいので、少し多いような気もしますが、一応、過去に書いたエントリを紹介しておきます。上から順番に読む必要はありません。基本的にすべてのエントリは独立しています。一部、続けて読む必要があると思われるものは、ぶら下げておきました。

*1:例:○○を歌ってみた、○○でキワミ、初音ミクに○○させた、等々

*2:ここは異論反論が予想されるので予めしっかりと断っておこうと思います。この項における秋山の主張は「一本だった道が二本に分かれた」ことであり、そのための一例として『源氏物語』と『平家物語』を取り上げました。とは言え、この分析は日本文学史的にはっきりと誤りかもしれませんし、他にもっと分かりやすい例があるかもしれませんし、そもそもこれ以前に分岐はなされていたかもしれません。もっとよい例や誤りがあったら、謹んで訂正させていただきます。

*3:優雅さに欠ける例ですね。失敬。

*4:MF文庫Jでは他に『ゼロの使い魔』『モノケロスの魔杖は穿つ』『パラケルススの娘』『ネクラ少女は黒魔法で恋をする』『蟲と眼球』『上等。』『暗闇にヤギを探して』あたりも面白そうですね。