雲上ブログ〜謎ときどきボドゲ〜

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「何回、教えればいいのか」問題に対して決めている回数

 1000回です……!


 毎年、4月になるとTwitterで「新社会人に教えたことがあります」といった類のpostが流れてきます。そういったpostを見て、色々と思うところが脳内に噴出するのですが、ぐっと堪え、流行が去ったところで言うことにしよう。
 と、思い始めて11ヶ月。
 今を逃すと、次のチャンスは1年先になりそうなので、このタイミングでエントリにします。

どうして新人は、何回、言っても分からないのだろうか?

 この問いに対する答えは2つあると考えています。
 ひとつは教え方が悪い、です。
 大半の業務や手続きには、なんらかの理由があります。表面的な手順だけを教えても、教わる方は、言われた通りにやるだけで、前提が変わったときに、どうすればいいか分かりません。応用が効かないわけです。何故なら、手続きの背景にある理由が分からないからです
 重要なのは、理由を教えてあげること。どういった理由で、この業務をやらなければならないか。この手続きが、こういう形式になっているのは、こういった経緯があったから。これを教えましょう。
……次を本題としたいので、この件は、これくらいで。ほんとうは応用の効かせ方とか、メモの取り方とか、お互いの歩み寄りとかあるでしょうが、割愛します。


 新人に何回、言っても分からない。
 その、もうひとつの理由は回数が少ないから、です。

何回、教えればいいのか?

 冒頭に1000回という数字を出しましたが、この数字は、ずっと昔に聞きました。
 誰から、どういうシチュエーションで聞いたかを忘れてしまったので、ソースはないに等しいのですが「日本では基本的に1回しか教えないという文化があるが、フランスには数回程度、教えたところで身につくわけもない。教えるなら1000回、教えろ! という文化がある」と聞きました。
 果たして、これがほんとうにフランスの文化なのか、1000回という具体的な数字に深い意味があるのか。それは、分かりません。
 ですが、そういう理屈は抜きにして、この考え方はとても良い、と感じました

何故、良いと感じるのか

 コミュニケーションや教育、理解という物事の考え方について、1000回という数字は、寛容さを、あるいは懐の深さを感じますね。
「仏の顔も三度まで」という言葉がありますが、1000回まで許されるとなると、対仏比で約333倍の慈悲深さです。これは素敵です。

と言うわけで、

 このことを教わって以来「前にも教えたけど」であるとか「この前も同じこと聞かれたと思うんだけど」とかいう枕詞は、最高にくだらなく、まったくもって無意味なものとして、使わないことにしました
 むしろ、あまりに同じ調子で聞かれるようであれば、ひとつ目の例に立ち戻って「自分の教え方に問題があるのではないか」という点に意識を向けるようにしています。
 社会人先輩各位におかれましては、新人諸君から何度、同じ質問を受けたとしても、是非、寛容に受け入れていただきたい所存。そして、新人諸君は「やば、これ前に聞いたけど忘れちゃった」と思っても、臆することなく、元気よく質問していただきたいと思います。

ついでに鉄板ネタも紹介しちゃおうかな

 あくまで秋山がそう思っているだけなのですが、新人にアドバイスを求められたとき用に持っているネタがひとつあります。
 こんな感じです。
「4月から新人なんですが、なにかアドバイスいただけますか?」
「飲み会の直前に立ち食いそばを食べておく、もしくはコンビニでパックの牛乳を買って飲んでおく。それだけで、今後の会社生活は変わる、かも」
 おそまつさまでした。