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第十九回文学フリマ打ち上げにおける座談会あるいは唐橋史インタビュー

秋山真琴:
 前回の文学フリマに続いて、唐橋さんにインタビューする機会をいただきました。前回は、主に『すごくあたらしい歴史教科書〜日本史C』についてお伺い致しましたが、今回は新刊の『切腹事始』について聞かせてください。売れ行きは、いかがだったでしょうか。


唐橋史:
 お陰様で、今回も完売致しました。


全員:
 おめでとうございます! パチパチパチ……!


秋山:
 そえさんは『墨妖』いかがでしたか?


添田健一:
 完売しました!


全員:
 凄い! おめでとうございます!


秋山零也:
 零也さんは?


青波:
 はい、完売しました!


全員:
 パチパチパチ、完売勢だ!


秋山:
 唐橋さん、そえさん、零也さんと皆さん完売で、たいへんめでたいですね。では、前回のインタビューでは『日本史C』について、何も説明せずに始めてしまっていましたが、今回は『切腹事始』についてご説明いただくところから、お願いできますでしょうか。


唐橋:
切腹事始』は歴史小説の短編小説集で、2作入っております。表題作の「切腹事始」は幕末を舞台に「武士道とは何か」を問いなおすという内容です。元々はウェブニタスというサークルさんの『概念迷路』という雑誌の第一号に寄稿したもので、好評でしたので、今回シングルカットという形で、書き下ろしと一緒にして出しました。


秋山:
切腹事始』は文学フリマの気になる本としてpostしたのですが、いちばんRT数が多かったです。きっと皆「切腹とは何か?」について気になっていたと思います。もう少し教えていただけますでしょうか。


唐橋:
 はい。切腹って、やっぱり凄惨なイメージがあると思うので、だいぶキャッチーだと思います。今回、作品の中では、切腹が武士の象徴として、武士らしくあるためのものとして出てきます。江戸時代は平和な時代であり、(公的な刑罰を除いて)切腹するような武士はそれほど多くありませんでした。でも幕末になると情勢不安になってきて、かえって皆、より武士らしくなろうという思想の高揚があって、私的な人間関係の中で切腹する人が増えたようです。その、ムーブメントと言うか、気運を題材にして、改めて、古い時代の武士の切腹とは何なのかを考えなおした19世紀の人たち……というテーマで書きました。


秋山:
 面白そうですね。今の話を聞いて、読む優先順位を上げなければと思いました。では、続きまして、そえさん、『墨妖』について教えてください。


添田
 その前に、切腹についていいですか? 中国だと切腹ってないんですよ。なぜ、ないのかと言うと孝行の国じゃないですか。忠孝の国なので、自分の身体というのは親の分身であり、親の分身を傷つける奴なんてのは最低だという考えの国なんですよ。だから、自分で自分の腹を切るというのは、親の腹を切るのと同じという考えです。男が死にたかったら敵に斬りかかって、敵に斬られて死ねという考えなんですよ。なので、今の話を聞いて、国によって死に方も違うんだなと感じました。


秋山:
 そえさんありがとうございました。ぜんぜん『墨妖』の話じゃなかったですね。もういっそ、皆で唐橋さんの『切腹事始』について考えましょうか。では、零也さん、切腹ってどういうイメージをお持ちですか?


青波:
 ええっ、切腹ですか! 切腹……やっぱり、歴史的なものとして、潔さの象徴としてのイメージはあります。えー……難しいですね。


秋山:
 難しいですね。切腹と聞いて、秋山が思ったのはルース・ベネディクト菊と刀』です。日本文化の中で、日本人は自殺をすることによって「けじめをつける」という考え方があって、切腹というのは、その様式美と言うか、「けじめのつけ方」のひとつの形だと思います。自分で言っていて思いましたが、改めて考えてみると、よく分かりませんね。切腹とは何か?『切腹事始』を読めば、切腹を理解できるのでしょうか?


唐橋:
 答えは様々です。読んでいただいて「あ、これは、こういうことなんだ」と思って貰えればと思います。


山本清風:
 面白そうですね、ちょっと混ぜてくださいよ。切腹については『シグルイ』でしかイメージがありません。腹の中に魂があるというのは日本人特有だと思うんですよ。「詰め腹を切る」というのは日本人特有の感覚だと思うので、それを書くというのは文学的だけでなく、外国人から見ても興味深いテーマだと思います。もっと言うと、若干、変態的なところもあると思います。フェチ的な。腹を切ったら死んじゃうと言うのは海外にはない文化なので。とにかく、そこを楽しみにして読んで欲しいと思います。


秋山:
 あれ? 清風さん、もう読まれたんですか?


山本:
 僕は全部、読んでます。


唐橋:
 え、読んでるんですか?


山本:
 僕は唐橋さんと常に行動を共にしているので、分かる!


秋山:
 清風さん、読んでないですよね?


山本:
 僕……あの……言村さんの『てきとーの(す)べるせかい』は、すごい面白かった。


秋山:
 え、あの、ありがとうございます。


唐橋:
 話が見えない……。


栗山真太朗:
 山本さーん、何やってんすか……、え、切腹? ちょっと入ってもいいですか? 切腹は武士道から来てますよね。僕の中で武士道といえば新選組土方歳三になるんです。新選組の掲げた士道について、士道とは、ぶっちゃけ言って色々とあとづけなんですよ。侍はそもそもフィクショナルな存在です。それをやってくためには、正当性がなければなりません。正しさがないと人間は生きていけませんから。新選組はそういった観点から、土方然り、その正しさに基づいて戦いに臨んだわけです。一方で隊士の中には士道不覚悟で切腹を命じられたものもいるわけです。でも、どのような倫理観に基づいて切腹を強いられたかというと、それは一個人の考えなんですよ。正解はどこにもないんですよ。


唐橋:
(ウンウン)


栗山:
単なる個人の思いつきが集積して常識となる、ともすれば人間は社会の生き物というチープな答えになってしまう漢は……(漢字の漢と書いて漢ですよ)漢は、人間としての道を貫いてこそだとする。でも、その道とは何かというとキリスト教における神ですよ。これもフィクション。人間はフィクションによって動かされてるんですよ。そして、この場はなんですか? 文学フリマの飲み会です! フィクションを創る人たちが文学フリマというフィクションを皆で作ってるんですよ。そして、そのフィクションに踊らされているんです。それで……そうそう切腹についてですが、切腹は侍としての道、つまり士道です。そしてフィクションとは人を動かす物。だから、それによって社会についての、在り方が問われるわけです。しかし、その実態はないのです。実際問題、各々、好きなように動けばいいのです。お酒をください!


秋山:
 驚きました。栗山さんは途中からこの席にやってきて、唐橋さんが「幕末」というキーワードを口にしているのを、聞いていないにも関わらず、新選組と切り出してきてすごいですね。後、今、これを文字で読んでいる方には、まったく分からないと思うのですが、唐橋さんがけっこうな勢いでうなずいてらして、共感されていたことを付け加えておきます。


唐橋:
 括弧でウンウンって入れておいてくださいよ。


秋山:
 唐橋さんの想いに通じるところを、栗山さんが言葉にされたのだと思います。もしかして、もう読まれたんですか?


栗山:
 だいたい切腹というのは江戸時代以降……、


秋山:
(いかん、長くなりそうだ)あ、栗山さん、そろそろ時間でした。ありがとうございました。さて……色々な切腹観を聞けたところで、最後に唐橋さんから総括をいただきたいのと、『切腹事始』が他の場所で読める機会があるなら教えてください。


唐橋:
 たいへん勉強になりました。実際、栗山さんの「切腹とは武士道であり、武士道とはフィクションである」というのは、私の言いたかったことを一行でまとめられてしまったくらいの勢いなんですね。軽く感動に打ち震えています。まさにその通りで、切腹は日本人の象徴として語られがちなんですね。でも、そんなことはなくて、武士というごく一部の階級にあった風習であり、様式美であり、フィクションなんですよね。そのフィクションの美しさと虚構性を念頭において読んでいただけると嬉しいです。で、今回は完売しましたが、Amazonで取り扱いを始める予定と、次回の文学フリマやテキストレボリューションでも売る予定ですので、是非、お手にとってください。


秋山:
 ありがとうございました。


全員:
 パチパチパチ。