雲上四季

本と涙と謎解きと、愛しさと切なさとボードゲームと

何処でもない場所から何者でもない自分が

f:id:sinden:20170919192519j:plain
 たまには雑談でも少々。
 こんにちは、秋山です。


 秋山の父親は、わりと転勤の多い会社員でした。
 生まれは綾瀬ですが、すぐにミネソタに引っ越して、物心がつく頃はカリフォルニアにいて、思春期は町田で過ごしました。
 卒業し、独り立ちしてからは品川と蒲田を行き来して、少し前は転勤で名古屋にいたり。今は、また品川にいたりして、ひとつのところに10年以上いた試しがありません。


「小学校の頃の同級生と、同窓会があった」


 みたいな話を聞くと「そんなことありうるのか!」と驚きがあって、次いで「いいなあ!」と思ったりします。
 以前は、どこそこ出身ですと言えないことに、表現できない感情を抱いていましたが、最近は、もう、そんなことを考えることもなく、他人は他人、自分は自分、みたいな感じです。


 そんな、ふらふらとした生き方をしているからでしょうか。
 ボードゲームや謎解きのために新幹線に乗ったり、飛行機に乗ったりすると、行った先で、


「えっ、東京から来たんですか?」


 とか、


「遠征ですか?」


 と驚かれるのですが、それ自体に違和感を覚えたりします。
 だって、札幌も福岡も、ドア・ツー・ドアで2時間かからないんですよ?
 今、たまたま東京に住んでいるわけで、来年には、どこに住んでいたっておかしくないわけで。遠征なんて大げさなものではなく、日本国内ならば、どこだって、ちょっとそこまで、の範疇かなあ、と。
 それだけ世界が縮んでしまったのでしょうか。


 秋山の小説を読んだことのある方は、ご存知かもしれませんが、ループ物という概念に偏執的な情熱を注いでいます。書いてきた小説の半分くらいは、ループ物と言っても過言ではないでしょう。
 どうしてでしょうかね、普段は意識もしませんが、心のタスクトレイには、


「あの時、ああしていれば、どうなっただろうか?」


 を計算するアプリケーションが常駐している気分です。
 まっとうな職につかず、小説を書くことに全力を注いでいれば、小説家になれていたのでしょうか。
 まあ、まだなれてないと決まったわけではないですけどね。
 30代、40代を過ぎてデビューする小説家も多いですし、秋山だって、まだまだワンチャンもツーチャンもありますよ。別にデビューできなくなって、浜辺のしなびた旅館で、文士を気取って、ワープロを叩くのは、いつだってできますしね。


 話がどんどん変わって恐縮ですが。
 少し前に、西尾維新の展示会「西尾維新大辞展」に行ってきたんですよ。
 そこで「西尾維新の”一日の過ごし方”を公開」と言うことで、よくある円グラフで、1日何時間寝て、何時間執筆してる、みたいのが展示されていたんですけれど、西尾維新って、めちゃくちゃ旅行するひとなんですね。
 会社にも、小遣いはすべて旅行に費やして、人生で何十カ国を訪ねたことがある、というひとがいるんですけれど、そういうのも良いですね。


 こういう事例に触れると、自分なんて、まだまだ引きこもりの域を出ない、そう感じます。


 なんか、まとまりのない感じになってしまいましたが、皆、もっと気軽に出掛ければ良いのではないでしょうか。
 今日のところは、そんな感じで。