それは、あなたが愚痴るひとだからではないでしょうか?
という話を、今日はしようと思います。
意識低い系しがないサラリーマンの秋山です、こんにちは。
類は友を呼ぶ
今さら、こんなありふれた言葉を引きたくないんですけれど、まあ、最適だから使わざるを得ないと言うか、多分、こういうときのためにあるのでしょう。
まだ、新人だった頃、新宿さぼてんというとんかつ屋で、ロースカツのランチ定食が届くのを待っている間、すり鉢を使ってゴマをすっていたら先輩社員に言われたことがあります。
「なあ、秋山くん。どうしてすり鉢の底に、ゴマが溜まるのか。分かるかい?」
「自分。物理弱いんで分かりませんけれど、重力とか、ですか?」
「違うね。底が、ゴマにとってcomfortable placeだからだよ」
「コンフタブル……居心地が良い、ですか?」
「そう。ゴマだけじゃない、ぼくや、秋山くんだってそうだ。居心地が良いから、ここにいるんだ。良くなかったらすり鉢から飛び出てるよ」
「先輩、辞めるんですか?」
「え、辞めないけど」
「そうですか」
その後、その先輩は、新規事業の社内公募に応募し、新規事業グループのリーダーを経て、部長になったわけですが、まあ、それは置いておきましょう。ここでは、それほど関係ない話なので。
そう、関係ない話、でした。
すみません。
なんだか唐突に思い出したので、つい書いてしまいました。
類は友を呼ぶ2
気を取り直して、類は友を呼ぶ、について。
愚痴を吐くひとはですね、愚痴を吐くひとを呼び寄せます。
たとえば昼休みのレストランで、コーヒー休憩のカフェで、夜の居酒屋で、いたるところで愚痴を吐いては、相手の愚痴を聞いて、そしてまた不満を思い出しては愚痴を吐いて。
連鎖ですよ。
無限ループです。
どこにも解決策はありません。
でも、まあ、良いのでしょうね、解決策なんてなくて。もしかしたら、愚痴を吐きたいだけなのかもしれません。
それが、彼らにとっての comfortable place なのでしょう。
愚痴を吐くことがない
自分のことで恐縮ですが、秋山は、あんまり愚痴を吐きません。
年に1回か2回くらい、信じられないほど不条理な目にあって、なんとか解決したいけれど、圧倒的に自分のちからが及ばないところにあって、仕方がないから、誰かにぶちまけたい。
そんな気分になりますが、たいていの場合、コーヒーを飲むか、帰りにショットバーに寄って、バーボンをちょっと傾けたら、もうきれいさっぱり忘れて、そんなことより次は何をしようかなみたいなことを考えてるんですよね。熱しにくく冷めやすい、そんな感じです。
だから、ですよ。
びっくりします。
愚痴を吐きまくるひとと会うと。
「え? なんで、そんなに愚痴が吐けるの?」みたいな。
生きている世界が違う
きっと、もう根本的な価値観、ものごとの考え方、向き合い方が異なるのでしょう。
考えてみれば、秋山の周辺に、日常的に愚痴を吐くひとは、あんまりいません。
たいていのひとは、わりかし前を向いていて、いきなり意味のわからない年間目標が降ってきて、現場の意見が完全に無視されていることに腹が立つものの、嘆いても仕方がないし、がんばれば意外にできちゃうかもしれませんし、むしろ同年代が高いハードルに屈するならば、自分にとってこれはチャンスかもしれない。
そんな考え方を持ってるひとたちばかりなので、愚痴を吐くひまがあれば、なにか取り組んでるんですよね。
だから余計に、ときどき愚痴を吐くひとと飲み会で一緒になると「え、それ、どこまで本気で言ってるの?」って聞いてしまったりします。
類は共を呼ぶだけでない、類さないものを遠ざける
と言うことなんでしょうね。
ここで冒頭に戻ります。
周りが愚痴るひとばかりになっているのは、それは、あなたが愚痴るひとになっていて、愚痴らないひとが、しぜんとあなたから距離を取ると同時に、あなたもまた、自分の愚痴を聞いてくれないひとを遠ざけてしまっているのではないでしょうか?
いかがでしょうか。
ひとそれぞれ comfortable place があるでしょうから、あんまりとやかく言うことはないですけれど、愚痴を吐かない空間の方が明るくて健全かなと自分では思います。少なくとも秋山は愚痴よりも、そのひとが好きなボードゲームの話や、FGOの推しキャラの話を聞きたいですね。
もし、あなたが愚痴らないひとであれば、いずれどこかの飲み会で秋山と会うこともあるでしょう。そのときは、どうぞ、よろしくお願いします。