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東浩紀『動物化するポストモダン』「第1章 オタクたちの擬似日本」2 オタクたちの擬似日本

ポストモダンとは何か
 70年代以降の文化的世界のことをポストモダンと呼ぶ。
・オタク系文化のもつ日本的なイメージ
 佐藤竜雄の『機動戦艦ナデシコ』はオタク系文化と日本的イメージを相対化し、メタフィクション的なトリックを仕掛けた秀作であるらしい。
 オタク系文化は20世紀半ばに始まった文化のポストモダン化という大きな流れの、日本における支流のひとつと捉えるべきだ。そうすれば、どうしてオタク系文化が国境を越えて支持されているか分かる、とのことだ。なるほど。
・オタク系文化の源流はアメリカ
 オタク系文化はけして日本的なものではなく、アメリカから輸入されたサブカルチャーである。これは当然だ。純粋な文化など存在せず、あらゆる文化は混成されて成り立っている。オタク系文化が国境を越えて支持されているあたり、雑種の強さというのが出ているのではないだろうか。……日本的なものが全部がアメリカというのだったら賛同は無理だが、四捨五入してギリギリアメリカぐらいだったら、オーケーだろう。
 アニメにはフル・アニメとリミテッド・アニメがあり、後者は劇場映画とは比較にならない短時間低予算で作らねばならなかったがゆえに循環動画・バンクシステム・口パクといったテクニックに頼った。これは知っている、確かNHKのトップランナーに富野氏が出てきたときに話していた。『機動戦士ガンダム』では戦闘中に口喧嘩をしているが、これは30分という時間を稼ぐための苦肉の策だったらしい。
・日本のアニメが発達させた独自の美学
 表現主義=フル・アニメ、物語主義=リミテッド・アニメ。後者の代表に『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』『幻魔大戦』。
 オタク系文化とは、日本が戦争で負けてしまったので、新たに作り出そうとしたアイデンティティであるらしい。これを氏は擬似的な日本と呼んでいる。つまり戦後、オタクが作ろうとした日本が擬似的な日本ということか。擬似的でない日本は存在するのだろうか?
 オタク系の小説やアニメでは、巫女が人気であるという。擬似的な日本、つまりオタク系文化の中に存在する巫女を許容できるか否かが、オタクであるか非オタクであるかのボーダーラインなのだろうか。
・日本文化の背景にある敗戦の傷痕
 日本は敗戦によって伝統的なアイデンティティを失ってしまった。これはさっき言ったことの繰り返し、あるいは言い換えだな。アイデンティティという単語は、先に出した方が分かりやすくなると思う。
ポストモダニズムの流行とオタク系文化の伸張
 83年に、編集者の中森明夫がオタクという言葉を商業誌ではじめて使い、浅田彰ポストモダニズムのバイブル『構造と力』を出版した。ちなみにポストモダニズムと言うのは、ポストモダンという枠に含まれる思想の一つとのこと。言ってくれて助かった、思わず混同してしまうところだった。
 日本では、ポストモダニズムニューアカデミズム。どちらも聞いたことがない。
 ポストモダン化やアレクサンドル・コジェーヴに関する記述が長々と続くがよく分からない。とりあえず、日本は近代を充分に迎えていないから、既に近代を迎えている国(アメリカやフランスだろうか)よりも抵抗感なくポストモダンを迎えられ、最先端の国家になれると言う。後、アメリカ型社会は動物化しており、日本型社会はスノビズムに覆われていると言う。辞書で調べて見ると、スノビズムとは俗物根性・紳士気取りといった意味らしい。動物化スノビズムとが対比されているのなら、動物化とは実利的・効率重視・先祖帰りという意味だと思われる。少しだけ分かったかもしれない。
・日本が最先端という幻想
 ここもよく分からなかった。とりあえず、『メガゾーン23』は面白そうだ。
・アメリカ産の材料で作られた擬似日本
 オタク系文化は擬似日本を作り出そうとしているもので、それは日本のアイデンティティが脆弱であることを証明している。だからそれを受け入れることは――っと、やはりよく分からない。パス。
 擬似日本の分かりやすい例として、あかほりさとるセイバーマリオネットJ』が挙げられている。近くには、想像物でしかないが充分に性的であり感情移入できるキャラクタが存在し、遠くには、現実の異性が存在する。なるほどこれは分かりやすい、滝本竜彦の『超人計画』を思い出した。脳内彼女と現実彼女。
・江戸の町人文化という幻想
『セイバーJ』に関する補足。比較的分かりやすかったが、面白くはなかった。
・オタク系文化の重要性
 オタク系文化には、アメリカからの文化的侵略の、近代化とポストモダン化が与えた歪みが入っているらしい。


 第1章は30ページほどだったが、この長さを読んで、上の文を書くのに2時間ほど掛かった。掛かりすぎ、長文読解が3つはできる。第2章はもっと簡潔に!


 28日、補足。
 ポストモダニズムに関する論文『ポストモダン再考』が氏のサイトで公開されている。機会を見て、読みにいく。