時刻付き小見出しがあるのに、日時つき小見出しがないのは何故だろう。
さて、一昨日の日記(上記)に関して砂雪氏から反応をいただけたので、それに関して思ったところをちらほらと書こうと思ったのだが、どうもあちらは調子が悪い模様。勿論、そんなことは自分の気にすることではないだろうし、気にすることが返って失礼に当たる可能性もあるのだけれど、まあ自分も今は時間なく駆け足になるので、お互い様ということで。
まず、どうでもいい方から。自分の名称に関して。まったく、気にしていません。秋山真琴でもsindenでも、雲上死記の中の人でも、ご自由にどうぞ。
そして、次に肝心のドール萌えに関して。こちらは、砂雪氏の理論に感化され、新たに自分の中で認められた理論です。はっきり言って、ドール萌えは今まで考えてもみませんでした。ですから、ドールの美的雰囲気に萌えるという現象は、自分が最初に定義した方からではなく、萌えがフェティシズムを内包するという方から導き出されています。つまり、異性の衣類や所持品を愛好する類の性欲をフェティシズムと呼んだ場合、それはただの靴下フェチであったり、下着フェチであったりするのだろうけど、対象としての異性がいない場合は萌えと言ってもいいのかもしれないと思っているわけです。ただ、新品の下着や誰が着たかも分からない下着の場合は、フェチと言うべきか萌えと言うべきかは知らない。それは主観だろう。
と言ったあたりで、続きは次回。