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1145『小説・読書生活』

小説・読書生活

小説・読書生活

 思うに限界まで練成された小説は、自動的なものである。一個の存在である書き手から、どうしようもなく滲み出てしまう気配――であるとか個性、人格や人間性――は、著者が解放しようが抑圧しようが、文面に表れてしまうもので、それを消すことは出来ないし、意図的に消し去ろうとすることは小説、ひいては自分自身に対する挑戦でさえある。今、かんたんに「解放しようが」と言ったが、これはとても難しいことであるように感じる。何故なら感情とは、本来、言葉ではないからであり、言葉ではない感情を小説にして書くというのは、言葉ではない感情を言葉にするという作業だからだ。しかし我々は言葉で思考しているわけで、ともすれば感情もその言葉の海の中から生まれてきたわけで、もし仮に「悲しい」や「嬉しい」などと思っても、それは我々の語彙が少ないから、その感情にそう命名してしまっただけであり、本来は違うかもしれない。だから、言葉の制約を受けずに感情を言語化するには、我々は自動的に記述するしかないと思われる。故に、限界まで著者の感情が練成された小説は、自動的なものと言える。本書に収録されている作品群は、いずれも推敲に推敲を重ね、数十回の書き直しを経て筆を置かれたようだが、そこに至るまでに著者の脳裏にあったのは、通常の推敲に付随する苦悩ではなく、いかにして言葉を排除し、感情に身を任せ、しかしそれを言葉にしようとする、矛盾する要求を叶えようとするために生じる苦悩ではないだろうかと推測する。何故なら本書に収録されている作品は、どう読んでも自動的だからだ。この言葉は、理性があっては書けない。
 なお、著者の関戸克己は既に亡くなっている。本書は著者の最初にして最後の単行本だ。