雲上四季〜謎ときどきボドゲ〜

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西尾維新の話|意味のないトリックの意味

 西尾維新戯言シリーズにはひとつの興味深い特徴があります。
 それは、それまでの巻で死んだキャラが、死んでないように描かれている、です。


 具体的にどういうことかと説明すると、たとえば「○○を紹介してくれないか」と頼まれその人物が既に死去している場合、主人公のいーちゃんは「○○は死にました」ではなく「○○とは今ちょっと連絡が取れないんですよね」と婉曲に返すのです。
 中々ないことだとは思いますが、もし刊行逆順に戯言シリーズを読む方がいれば、さぞや驚愕の嵐かと思われます。と言うか、刊行逆順に読んでこそ萌えキャラ殺しの西尾維新の真価を楽しめるのではないでしょうか?


 で、先日までは、いーちゃんがこのように知っているキャラの死を隠すのは、センチメンタルでナイーブな彼ならではのリップ・サービス、もしくは戯言だと思っていました。だって、この、考えようによっては叙述トリックとも受け取れるこの技法は、シリーズを刊行逆順に読むような極めて稀な例を除き、不発が最初から確定しているからです。読者全員がすでに知っている情報をいくら隠そうとしても、それは叙述トリックの体裁をなさないように思います。
 けれど『零崎軋識の人間ノック』の感想リンクを作るため、いろいろな方の感想を読んでいたときに、もしかしたらこの意味がないと思われた叙述トリックには意味があるのかもと気づきました。平易な表現をすれば、キャラクタに立体感を持たせるために、このような技法を取り入れているのではないでしょうか。

零崎軋識の人間ノック (講談社ノベルス)

零崎軋識の人間ノック (講談社ノベルス)

 仮に、読者が知らない情報を、いーちゃんが意図的に隠蔽したとしましょう。つまり、意味のある叙述トリックです。これを使われた場合、言うまでもなく、読者は騙されてしまう、その可能性があります。生き死にが判明していないキャラを、さも生きているかのように描けば、読者は当然、翻弄されるでしょう。素直な読者は生きていると思い込み、そうでない読者は「死んでいるかも?」と疑ってかかるでしょう。
 けれど、死んでいることがはっきりしているキャラを生きているように描けばどうなるか? 叙述トリックを瞬時に見破ることのできる読者は、無意識に深読みするでしょう。死んでいるはずの友人を、さも生きているかのように扱ういーちゃんの心情を。そして勝手に作り上げるでしょう、いーちゃんというキャラクタを。たとえば秋山が、彼をセンチメンタルでナイーブな性格の持ち主と読み取ったように。
 読者を騙すためのトリック、それ自体を逆手にとって、キャラクタを立てるために使ってしまう。やっぱり、西尾維新はいい意味でも悪い意味でもキャラクタ小説家なのかもしれませんね。

追記

シリーズの途中から読んでも大丈夫なように書いてる、とディクショナルにはあるのですが、

http://nanamomorio.blog.shinobi.jp/Entry/421/

 西尾維新 の 攻撃!
 かいしん の 一撃!
 秋山真琴 は 負けた!