雲上ブログ〜謎ときどきボドゲ〜

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米澤穂信の話|ミステリにおける『インシテミル』の位置

 思うにジャンル小説というのは、ある種の領土拡大ゲームです。
 たとえばライトノベルは当初、剣と魔法のファンタジィでした。それにSFが加わり、伝奇が加わり、舞台は現代となり、学園となり、セカイ系が生まれ、リアル・フィクションが生まれ、越境型が生まれました。そして吸血鬼が現れ、魔法少女が現れ、世界の敵が現れました。
 ミステリも同じです。たとえば世界初のミステリと一般に言われるところのエドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人』の時点では、まだ探偵とフーダニットしかありませんでした。これにハウダニットホワイダニットが加わり、ワトソン役もしくは語り手が登場し、読者への挑戦状が放たれ、密室やアリバイや叙述やメタが生まれ、やがて数が多くなってきたので本格や変格といったサブジャンルに分けられるようになりました。
 なんとなくこの構造に、学問もしくは知識を連想します。まず最初に分かっていることがひとつだけあり、それが例えば真っ白なキャンバスに描かれた黒い丸だとすれば、色々な学者がそれぞれに研究し、それぞれに分かったことをキャンバスに描き加えていくのです。そうすることでキャンバスに描かれた黒い丸は、どんどん大きくなり、またすこし離れたところにも丸が描かれはじめ、ときにその丸は大きくなりすぎて他の丸と一緒になってしまったりします。
 特にミステリにおけるトリックという概念は、実に学問的だと思うのですよね。日夜、ミステリ作家たちが人々を唸らせる新しいトリックの考案に勤しみ、そうしてまだこのせかいに存在していないトリックが新たに創造されてゆくのを見ると、描かれていくキャンバスが見えるような気さえします。
 で、ちまちまと丸が大きくなっていく一方で、まれに誰も予想していなかった箇所に丸を描きこむひとがいます。ミステリの新本格という観点において、ふたりほど選べると思います。綾辻行人京極夏彦です。綾辻以後・京極以後という言葉が使われるほど、このふたりの登場は大きな波紋をもたらし、後続のミステリ作家やミステリを取りまく状況に深い影響を与えました。
 その影響の話は今回は避けておきます。興味があるひとはグーグル先生に聞いてください。

インシテミル

インシテミル

 さて、そこで米澤穂信インシテミルですが、この作品……違いますよね?
「何が」と問われると非常に苦しいのですが、とにかく何かが違うように思われるのです。従来のミステリの延長線上にある作品ではないような気がするのです。先ほどのキャンバスの例で言うなら、既存の丸に描き加えられたものではなく、新規に描きこまれた新しい丸のような気がします。もっとも、その新しいっぷりは、綾辻行人京極夏彦ほどではありません。あのふたりほど、既存の丸から離れてはいませんが、それでも新しい丸のように思うのです。
 あるいは、それは、

インシテミル』は非常にあざとい。まずタイトルがあざとい。副題(?)の『THE INCITE MILL』というのもあざとい。西島大介の装画もあざといし、「見つかった。何が? 私たちのミステリー、私たちの時代が。」とか「時代を変える1000枚!」とか「期待の新鋭が描く究極の殺人ゲーム。この屈託と含羞を、絶対に読み逃してはならない。」というオビのキャッチフレーズもあざとい。「殺人ゲーム」の上の強調点*4はどうしようもなくあざとい。オビの裏表紙側*5はもっとあざとい。どうせなら、「(この感想はプルーフを読んでのものです)」という注意書きをつければもっとあざとかったのに。

http://d.hatena.ne.jp/trivial/20070830/1188407389

 ここで指摘されているように帯文などによる誘導された感情なのかもしれません。
 しかし、たとえば主人公が<ネタバレ反転>古典ミステリを読んでいないミステリ読み</ネタバレ反転>なのは、非常に斬新だと思うのです。クイーン島田荘司をリスペクトし、彼らの作品のオマージュに満ちあふれ、先行作品*1を読んでいない読者を、拒否するような空気を持つ作品ならいくらでも挙げられます。けれど、先行作品を引用しつつ、しかし必ずしも重要視しているわけでもないというミステリは非常に現代的に思えます。
 帯文に誘導されるままに「私たちのミステリー、私たちの時代」なるものが見つかったとまでは言えませんが、その予感はします。ここから何かが始まりそうな、何かが変わりそうな……そんな気が漠然とします。だから、目を凝らしていたいですね。スルーしてしまいたくありません。せっかく米澤穂信が仕掛けてきたのです。だって、これに対抗したり、もしくは乗ってくるような作家がいれば、ちょっとしたお祭りですものね

*1:古典や名作と呼ばれる類の作品、過去や歴史、文脈と換言してもかまわないかもしれません。