雲上ブログ〜謎ときどきボドゲ〜

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文学について思うこと

「秋山さんの定義する『文学』を教えてください」
「新奇であること。あるいは感動的であること」


 シンプルに質問されたときは、なるべくシンプルに答えるようにしています。
 抽象化された言葉は、多くの意味や背景を含有するので、その効果を期待してもいます。


 文学について、少し断定的な口調で考えてみましょう。
 文学というのは、芸術の分野のひとつで、美術や音楽の友人です。言語に起因しており、特定の言語を解することによって再現できます。歌は音楽ですが、旋律に乗った歌詞を理解することで文学になります。書物は美術ですが、そこに綴られた言語を理解することで文学になります。また、言語は朗読すれば音楽に、記述すれば美術になります。文学は形を持たず、形而上の領域にあります。
 言語とは、意味を代替する記号であり、特定のルールに基いた記号の連続から構成されています。連続性は、知識として持っているもの同士で共有することができます。意味はすべてに付随します。音階ひとつはひとつの音階に過ぎませんが、その連なりで音は音楽になります。色もひとつでは一色に過ぎませんが、組み合わせることで美術になります。つまり、連続性こそが美術です。優れた美術は優れた連続性を有します。


 言語の範囲は広大です。よもすれば美術も音楽も、その起伏に富んだ連続性を物語と称し、文学の範疇に含めてしまうことも可能です。しかし、ここでは、範囲については議論しません。文学は芸術の分野のひとつで、美術や音楽は、文学の友人。ここを前提としておきます。
 芸術的の対照が娯楽的であるとしたとき、小説に限定しますが、文学は、「文学」とエンターテイメントに分かれます。エンターテイメントは、人間の、動物的な欲求を満たす方向に特化し、その感傷的な物語は、読み手の涙を誘ったり、笑いを与えたり、生きる活力を与えたりします。


「文学」は人間の欲求を追求しません。「文学」が見定めるのは人間の理性的な欲望または好奇心や知識欲です。言語の限りを尽くされた作者の意図を読み解き、言語の形容に落とし込まれた概念を自身の裡に再現し、連続性を共有できたと納得したときに生まれる感動。それが「文学」の根源です。
「文学」は外側と内側から形成されます。技巧的な文章や美麗な語句選択は外側の部類。文章から想起される連続性は内側の部類。内容は皆無でも、まったく新しい、過去に類を見ない表現技法も、筆致は稚拙でも、書かれている内容は心を強く揺り動かす物語も、等しく「文学」です。


 芸術は人類の足跡です。それは絶えず、前を向いていなければなりません。破壊して、創造して、また破壊して、創造して。求められるのは、とにもかくにも新奇性です。斬新であることは、「文学」の非常に重要な要素です。
 あるいは感動。動物の中で、言語を解し、連続性を共有できる人間が求めているのは感動です。俗物的な物語によって安易にもたらされる感傷ではなく、真に好奇心を満たすのが「文学」です。「文学」が人間を感動させ、その人間の集合からなる社会を、世界を感動させます。
 感動は人類にとって必要不可欠です。感動しなくなったとき、そこに残るのは停止です。それ以上、進化することなく、変化することなく、停止した存在からは未来が失われます。
 歴史は前進によって生まれます。新奇的であることと、感動的であることは、表裏一体です。


 人類が滅びた後、神は、芸術を確認すると思うのです。
「ほうほう、今度の人類は、ここまで考え、ここまで辿り着いたのだな」と。
 あまり進んでなかったら、なんだか悔しいじゃないですか。