1998年2月にスクウェア(現スクウェア・エニックス)から発売された、RPG『ゼノギアス』について語ろうと思います。
- 雑誌から見たゼノギアス
- 何が起こっているか分からないという衝撃
- 選択できない、関与できない、操作できない感覚
- 設定資料集の復刊
- 小さな物語の魅力
- 大きな物語としての魅力
- 時間を置いて再プレイするということ
- 終わりに
- 終わりにの終わりに
- あわせて読みたい(2017/7/16追記)
90年台後半はスクウェアの単発ゲームが輝いていた時代で、94年の『ライブ・ア・ライブ』に始まり、95年に『クロノ・トリガー』、96年に『バハムートラグーン』などと、今でもスーファミ思い出話が始まると、必ず話題にあがるゲームを、次々とリリースしていました。これらと平行して『ファイナルファンタジー』『ロマンシング・サガ』『聖剣伝説』も出していたのですから、ほんとう凄まじい時代です。
97年の『ファイナルファンタジー7』を皮切りに、スクウェアは、ハードをプレイステーションに移しました。今でも、高い人気を誇る当時の単発ゲームとしては97年の『ファイナルファンタジータクティクス』、98年の『ゼノギアス』、99年の『デュープリズム』、2000年の『ベイグラントストーリー』あたりでしょうか。
雑誌から見たゼノギアス
84年生まれの秋山は、98年当時はリアル中二で、なんか哲学っぽいのや心理学っぽいのが大好きでした。当然『ゼノギアス』は好みにジャストミートしていたはずなのですが、ロボット物として売りだされているように見えて、今ひとつ手が伸びなかったのです。アニメーションや主題歌が入っていることも、その頃は蛇足のように思えたものです。
が、ですが、その一方で、愛読していた電撃プレイステーションの投稿ハガキのコーナーでは『東京魔人學園剣風帖』と並んで、イラストの投稿が多かったように見えて「なにかおかしいぞ……?」という気配はありました。
あの頃は、ゲームの情報は、雑誌の密度が最も濃くて、次いでゲームショップの店頭、インターネットは3番手くらいだった気がします。秋山家では、子どもは遅くとも24時には寝るように言われていたので、テレホーダイの時間はダウンロードツールを駆使して、日中時間帯に、ダウンロードしたHTMLを、のんびり見る感じでした。
何が起こっているか分からないという衝撃
前置きは、これくらいにして、色々あって、ようやくプレイする機会に恵まれたわけですが、遊び始めて数時間で困惑でした。
大きな物語として、アヴェとキスレブが戦争しているらしいけれど、プレイヤが接している小さな物語としては、宰相シャーカーンをバルトが打倒しようとしていて、ソラリスからはゲブラーとかいう良く分からない組織が介入していて、結局のところ、どういう構図で、誰が正義で誰が悪なのか、さっぱりでした*1。
この、よく分からない感というのは、しかし魅力でもありました。記憶を持たず、流されるままに流されるフェイの境遇は、背景を知らずにプレイさせられるプレイヤにも通じるところがあり、その翻弄されている感が面白かったです。分かりそうで分からない、とでも言えばいいのでしょうか。また、キャラたちの暗い過去も面白く、輪廻転生も当然のように心の中二を刺激しましたし、ガゼル法院の謎会話も大喝采でした。
選択できない、関与できない、操作できない感覚
前述の通り、世界規模では大きな物語が動いていて、プレイヤには、その様子が時おりチラ見させられるですが、プレイヤがコントロールするフェイは、序盤、ほとんど、この大きな物語に関与できないのですよね。
たとえば『ドラクエ』において、勇者が魔王を倒すための冒険に出るとき、勇者は、いつだって物語の中心にいますし、プレイヤの選択は勇者の選択であり、その選択において世界の命運が左右されます。
しかし『ゼノギアス』において、フェイは、ほとんど選択しませんし、なにかを選びとったとしても、それは大きな流れに、あんまり影響を及ぼさないのですよね。この世界から阻害疎外*2されている感と言うか、大きな物語に関われないという隔絶感は、極めて印象的です。
具体的には──バルトと協力してアヴェを奪還したいのに、キスレブのD区画でリコとバトリングするはめになるし、エリィと共にキスレブを脱出したかと思いきや今度は撃墜されて漂流するはめになるし……大きな物語に関われるようになるのって、ビリーが仲間になり、教会の真の姿を知って、バベルタワーを登り、シェバトに辿り着いてからではないでしょうか。
いわゆるお使い感を与えないまでも、ここまで主人公が世界の中心に関わることなく進むゲームって、極めて珍しいのではないでしょうか。
ソラリス潜入を経て、ディスク2に入ると、物語は超展開と言っても差し支えないほどに大きく動き、フェイたちは一気に物語の中心にやってくるのですが、それまでは、ほんとうには蚊帳の外。でも、一歩、引いて冷静にゲームを遊べるにようになった今だからこそ、分かるような気がします。中学二年生だった秋山が、なんとなくディスク1よりディスク2の方が好きだったのは、きっと大きな物語に関わりたかったからでしょう。こまい事件をちまちま解決するより、世界を救い、ヒロインも救いたかったのです。
設定資料集の復刊
先日『Xenogears PERFECT WORKS the Real thing -スクウェア公式ゼノギアス設定資料集』が復刊ドットコムから復刊されました。早速、購入したのですが、パラパラとめくってみて、ほぼ完璧に内容を忘れてしまっていることに気づき、パタンと閉じ「よし『ゼノギアス』を遊びなおそう!」と決意したのでした。
Xenogears PERFECT WORKS the Real thing -スクウェア公式ゼノギアス設定資料集
- 発売日: 2014/04/10
- メディア: 大型本
遊び始めて、ちょっと驚いたのですが、今でも、ぜんぜん遊べますね。ポリゴンが少々かくかくしかったり、アイテムがソートできなかったり、パーティキャラの変更が面倒だったり、細かいところに少しずつ不満がありますが、全体で見ると遊べないほどではありません。少なくとも『ワイルドアームズ2』よりかは行けるな、と感じました。
小さな物語の魅力
2回目のプレイとなりましたが、細かい演出が、ほんとうに良いですね。ディスク1は、先に述べた通り、ほとんど大きな物語に関わることができず、フェイが触れるのは小さな物語なのですが、それ故に、各キャラにクローズアップされていて、より濃密な人間模様が描かれているように感じました。
マリア・バルタザール。天空都市シェバトの護衛を務める、若干十三歳の少女。三賢者のひとりバルタザールの曾孫にして、ソラリスに拉致された研究者ニコラの娘である彼女は、ゲーム中でも屈指の凛々しさを誇りますね。とても辛い境遇にいるにも関わらず、ギアの乗り手としてシェバトをソラリスの侵攻から守りますし、洗脳されたニコラとも決戦を繰り広げます。ソラリスに反撃するときは「わたしとゼプツェンが、おまえたちの『死』を運ぶ、黒い翼になってやる!!」と先陣を切りますし、フェイがエリィを残すために、敢えて辛く言ったときには「ああいう言い方は、よくないと思います」とジト目で諭してきます*3。ゲームの終盤、各キャラたちがギア・バーラーを入手したり、波動存在に触れることでギアを変容させたりしますが、マリアだけは、ゼプツェンに乗り続けます。そして、そのゼプツェンが、また強いこと強いこと……。健気に戦う少女が、巨大かつ強力なギアに乗るというのが、とても良いですね。
エメラダ。彼女もマリアに負けず劣らず健気で、良い娘ですね。4000年前、滅亡を迎えつつあったゼボイムにおいて、キムとエリィの遺伝子データを元に生まれた「望まれた子」でありながら、4000年も放置された挙句、目覚めると同時にソラリスに連れて行かれ、カレルレンに色々と酷いこと言われて実に可哀想です。それだけに、ゼボイムのイベントは、感動的でしたね。「でも……でも違った! キムやあのエリィは、あたしの事を天使だって……」自らが望まれて生まれて来た子であることを知り「フェイ! 今までキムの代わりをしてくれてありがとう! でも、もう大丈夫だよ! あたしは、キムやエリィたちの子にふさわしいように、強くなる!」と言って、大人化するシーンは、もう涙腺決壊でしたね。大人化した後に俄然、強くなるところもゲーム的に良い感じですね。考えてみれば、彼女もマリア同様に、ギアをバーラー化させずにラスボスまで行くキャラですね。クレメンス、両腕を持たず、翼や手にも見える髪で戦うの、かっこいいです。
バルトロメイ・ファティマ、マルグレーテ・ファティマ、シグルド・ハーコート、そしてローレンス・メイソン。バルト周辺は、ほんとうに良いキャラが揃っていますね。ファティマ王朝の正統なる後継者でありながら、宰相シャーハーンに座を追われ、海賊へと身をやつし、腹心シグとメイソン卿を仲間に、アヴェ奪還を目指す彼は、勧善懲悪の王道ですよね。ゲームの序盤において、フェイやシタンという強い味方を得るも、敗北を知るという経験が、彼を、さらに育ててゆくのが良いです。苦境に陥ったとき、メイソン卿が救援に駆けつけてくれたり、マルーを救い出すために急がねばならないのに碧玉がひとつしかないときに、シグが「落ち着いて、若! もう片方は私がやります!」とサポートしてくれたり、彼は、ほんとうに恵まれていますね。そして、いちばんの盛り上がりポイントは、やはりアヴェの地に返り咲き、父親の遺言を果たすときでしょうね。あの演説からの、民衆の歓声からの、夜半、シグとの会話まで……パーフェクトです。正直『ゼノギアス』がふつうのゲームだったら、主人公になっていたのはバルトでしょうね。色々と大変な目に遭いながらもシグやマルーと協力しつつ、亡き父の遺言を果たそうとする。あまりに複雑な背景を持つフェイよりも、よっぽど主人公然としています。
その他にも、ゼノギアスは魅力的なキャラが多すぎるんですよね。ハマー、エリィの両親、ドミニアとケルビナ、ランク、ミロク、タムズ、ワイズマン、ジェシー・B・ブラック、ビッグ・ジョー……ああ、後、グラーフがいましたね。
グラーフはねえ、ほんと、迷惑なキャラですよね。
力の求道者として、ことあるごとに「うぬは、力が欲しくないか?」と言いつつ現れては「我の拳は神の息吹!“堕ちたる種子”を開花させ、秘めたる力をつむぎ出す!! 美しき 滅びの母の力を!」と言って、変な力を与えてボスを強くする迷惑なやつです。だいたい困るタイミングで現れて、勝手にボスを強化して、気がついたらいなくなっている嫌なやつです。終盤にはバルトとフェイに「またあいつか!?」「どこから入ってきたんだ!?」と完全にいらんひとに言われているあたり笑えます。ですが、まあ、でも、物語の牽引役としては、優秀ですよね。物語が停滞し始めたタイミングで、グラーフかワイズマンのどちらかが登場して、迷えるフェイを引っ張っていってくれます。
大きな物語としての魅力
星間戦争の時代、原初の時代(アベル)、ゼボイム文明の時代(キム)、ソラリスとシェバトの時代(ラカン)、現代(フェイ)、未来と、六つのエピソードから構成されているという壮大さが『ゼノギアス』の魅力のひとつですよね。
500年前のラカンとソフィアの物語は、まだ、それなりに語られますが、1万年前のアベルとカインの時代や、4000年前のゼボイム文明の時代は、ほとんど語られません。この、語られないけれど、そこにあることは示されているというチラ見せが、ゼノギアスは、ほんとうに上手いんですよね。宇宙や生命の神秘、神々、深化の系譜、哲学、宗教、社会……それら、諸々が、どかんと入っているので、ものすごく奥深そうに見えますし、この設定を、もっともっと楽しみたくなります。
複数のエピソードから構成されているゲームと言えば全8章とされる『オウガバトルサーガ』や、そのFF版とも言える『イヴァリースアライアンス』や、SFというテーマも共通している『スターオーシャンシリーズ』、趣きはだいぶ異なりますが『幻想水滸伝シリーズ』などがありますね。最近だと『セブンスドラゴン』も同じ部類に入るのかしら。
閑話休題。このゲームは最初、小さな物語の集合から始まるのですが、ディスク2への移行を境に、物語の種別が、フェイの周辺を描いただけの小さな物語から、よりスケールの大きい、大きな物語へと拡大します。前述のチラ見せ技術を最大限に用い、この物語サイズの拡大を最大限に見せているところが、とにかく凄いです。世界の命運を掛けて魔王と戦う勇者が、とてもちっぽけに見えるほどゼノギアスのスケール感は大きいのですよね。1万年以上前の星間戦争の時代からの因縁が、アベルとカインの因縁が、エリィとミァハミァン*4との因縁が、ありとあらゆる、複雑に織られた因縁という因縁が、すべて、このラストバトルに集約されるのは、とても壮大で、とても壮観です。
チラ見せの具合が良いと書きましたが、ガゼル法院が特に良い仕事をしているのですよね。エヴァンゲリオンで人類補完計画を推進しているゼーレの老人たちも、物語において同じような機能を持っていますよね。序盤から視聴者/プレイヤの前にだけ登場し、意味深な会話を展開する黒幕風のひとたち。彼らが不穏な科白を吐いてくれるので、フェイの過去が、より一方、謎めいた様相を帯びてきますし、うん、いいですね。
時間を置いて再プレイするということ
ざっと16年ぶりに遊び直したわけですが、もちろん忘れているところも多かったですが、それ以上に記憶改竄……まではいかないですが、思い出補正が掛かっていたなあ、という部分はありました。
いちばん大きいのはイドですね。何故か記憶の中におけるイドは、フェイの豪快な部分をすべて担っていて、フェイがくよくよと悩み始めると、イドがBGM「飛翔」と共に颯爽と登場し、快刀乱麻を断つが如く、難題を解決してくれたように思っていたのです。実際には、そういう場面はなく、むしろ、やたら強いボスとしてプレイヤの前に立ちはだかる、けっこう厄介なやつでした。
マルーの印象も変わりましたね。天真爛漫なだけのキャラだと思っていましたが、けっこう深いレベルで皆のことや、バルトのことを考えていて、自分を貫き通す強さも持っていました。ややもすれば、全キャラの中で、一二を争うほど、精神的に、強いキャラではないでしょうか。
バベルタワーは、思ったよりかんたんでしたね。なんか、一回、落ちると最初からやり直しになるような記憶が残っていて、もし途中で放り出すことになるならばバベルタワーかもと思っていましたが、そんなことは、ぜんぜんなかったです。確かに紐に掴まってジャンプしたり、シーソーみたいなところは難所でしたが、それでも宝箱*5を無視すればかんたんに突破できましたし、その宝箱だって試行回数3回くらいで取れました。
ビリーは過剰に美化していたかもしれませんね。中二要素として、やっぱり妹思いで、自分の身体を売ろうと思っただの、銃使いだの、そういったポイントは、心を掴むものがあって、ギアも格好良かったし、ずっと使っていましたが、今回のプレイでは、あまり活躍しませんでしたね……。エーテルダブルをつけたエリィのエアッド、バルトのワイルドスマイル、ゼプツェンで力押し……わりと、臨機応変に使い分けた感があります。最初から最後まで使っていたのって、安定のシタン先生だけじゃないですかね……。
終わりに
なんだか、まだまだ、際限なく語れるような気がしますけれど、あんまり長く書きすぎても、かえって誰にも読んでもらえないような気がするので*6、今日のところは、これくらいにしようと思います。完全なる自分語りで終わった感ありますが……。
でも『ゼノギアス』って、なんですかねえ。作品として、愛してあげたくなりますよね。もっと深いレベルで知りたい気分になりますし、色々なひとと作品について感想を交換し、語り合いたくなります。その魅力の出所は、多分、多様性と、細やかな気配りではないでしょうか。ロボットには、あんまり関心がないので、主張したいことは少ないですが、エレメンツの合体シーンとか、グッと来るひと、いるのではないでしょうか。
『ゼノサーガ』は遊んだ方が良いのでしょうか?
あまり良い評判を聞かないのと、そんなに『ゼノギアス』との関係性が多いわけではないらしいので『ゼノギアス』の前日譚を求めて遊ぶと、ちょっと肩透かしを食らうよと言われたことがあるので、若干、怖気づいています……。むしろ『ゼノサーガ』を遊ぶくらいなら『ゼノブレイド』の方がゲームとして面白いよとか……。ただ、考えてみれば自宅にテレビもなければ、据え置き機もなく、あるのはPSPとDSだけなんですよね。遊ぶとした『1』と『2』を再構成して、ひとつにまとめたDS版でしょうか。まあ、そのうちですね、そのうち。
長くなりましたが、結論としては『ゼノギアス』面白いですよね、ということでひとつ。
終わりにの終わりに
音楽が素晴らしいという話と、外伝がそれなりに面白かったような記憶が残っているという話をし忘れましたが、またの機会に。
- アーティスト:ゲーム・ミュージック,ジョアンヌ・ホッグ,グレート・ボイセス・オブ・ブルガリア
- 発売日: 2005/02/23
- メディア: CD
あわせて読みたい(2017/7/16追記)
奥深いRPG系の感想ということで、よろしければこちらも。