少し前ですが、ウヴェ・ローゼンベルクのボードゲーム『レイクホルト』を遊びました。
ワーカープレイスメントと拡大再生産のゲームかと思いきや、秋山が大好きな『洛陽の門にて』を発展させた要素があって、非常に面白かったです。インターネットを見ると「ウヴェ様にしては地味」みたいな評が多くて「そんなことないよ!」みたいなことを書きます。
ワーカープレイスメントとランダム要素
ワーカープレイスメントって、個人的には複数人で遊ぶアブストラクトという印象です。
ランダム要素がゲーム開始時の手番決めしか存在せず、一度、ゲームが始まったら、後はもう最後まで見えているので、慣れているプレイヤーや、最適解を見出しやすいプレイヤーが勝つ傾向にあります。
この問題を解決するために、たとえば『アグリコラ』ではドラフトを入れることで、プレイヤー間で情報のバラツキを与えたり、ラウンド経過に応じてアクションカードがランダムで現れたりしますね。
『レイクホルト』の場合、ゲーム中にランダム要素はありませんが、ゲーム開始前にランダムでカードを選ぶ場面があります。従って、ゲームが始まったらアブストラクトですが、そこに至るまでのパターンがいっぱいあるから、複数回のプレイに耐えられる、つまりリプレイビリティがあると言えます。
ゲーム中にランダム要素がいっぱいあった『洛陽の門にて』と比較すると、しっとりしている、と思います。
求められるのは加速する逆算思考
逆算思考ってボードゲームがもたらしてくれる思考体験のなかで、かなり好みの部類に入ります。
最終形をイメージして、その最終形に辿りつくための布石を打つ、打ち続けなければならない、というのが性格的に好きです。
『洛陽の門にて』の場合、需要と供給です。常連客が向こう4週間にわたって同じ野菜を求めてくるので、先んじて、その野菜を畑に植えておいて、1ラウンドに1つずつ採取できる体制を整えておけば、その常連客は安心して抱えておけます。
一方『レイクホルト』の場合、需要というのは定期的なものではなく、最初からすべて見えています。全プレイヤーが同じ順番で、同じ素材を、同じ分量、テーブルに捧げていく必要があります。ある種のレースゲームですよね。
さらに『洛陽の門にて』には、ほんとうに限られた手段でしか、ひとつの畑から2回以上採取することができませんでしたが、『レイクホルト』の場合、わりとガンガン採取できます。この加速できること、と言うのが『洛陽の門にて』と『レイクホルト』の最大の差異でしょう。
逆算思考をしつつ、これを加速していく、この思考を要求するボードゲームって、かなり珍しいのではないでしょうか。
ストーリーモードで違う楽しみ方
全5章からなるストーリーモードが用意されているのも面白いのではないでしょうか。
基本的には、縛りプレイと言うか、条件がより厳しくなるようなアレンジなので、慣れているプレイヤー向けになります。
うん、やっぱり、しっとりしていますね。
こうして書きながら思い返してみましたが、派手さには欠けますね。
これは、もう好みの領域かもしれませんね。
バチバチと派手な応酬を好みとするのか、最初からすべてが見えているけれど、準備段階におけるランダム要素を、そっと汲み取って、その差異を楽しむ、みたいな。
この絶妙さは、侘び寂び、に近い領域ではないでしょうか。噛みしめるように楽しみたいゲームですね。
一緒に遊んだぺこらさんのコメント
この人、カナイセイジさんに似てる……
えっ
大事に取っておいて、ここぞという場面で使うことにするよ
良いけれど、だいたい強いアクションは1手目でなくなっちゃうから、温存しておいてもしょぼいアクションをカナイさんにしてもらうことになるよ
終わりに
と言うわけで『レイクホルト』のお話でした。
面白いと思うので、地味なんて言わずに、渋いって良いところを褒めてあげてください。