今日は、寂しさに共感する、というテーマの雑談です。
お時間ある方、お付き合いいただければ幸いです。
タイトルの出典
今日のタイトルは『ANGEL TYPE』というエロゲーに登場する、佐倉詩希というヒロインのセリフからお借りしました。
『ANGEL TYPE』はAerisという新ブランドから2001年7月に発売される予定だったゲームですが、諸般の事情で立ち消えとなりました。ブランドのサイトも、ドメインが更新されず消滅しましたが、minori feat. Aerisから2005年3月に奇跡的に発売されました。
背景として『ANGEL TYPE』のシナリオライターは古我望氏なのですが、minoriの『BITTERSWEET FOOLS』のシナリオライターも同氏なので、中の人つながり……であると察せられます。
ちなみに『BITTERSWEET FOOLS』原画の相田裕は、2002年から『電撃大王』で『GUNSLINGER GIRL』の連載を始められて、しばらく追っていた記憶があります。 これだけ語っておいて何ですが『ANGEL TYPE』は未プレイです。
遊びたいと思っていたのはAerisの『ANGEL TYPE』であって、minori feat. Aerisの『ANGEL TYPE』じゃない! という若者らしい謎のこだわりが働いていました……。
しかし、その一方でLittle Wingは好きで、片霧烈火が歌っていた『月姫』アレンジの『7th moon』や、園田まひるが歌っていた『キノの旅』イメージアルバム『REVERIE』は死ぬほど聞いていて、サントラだけは中古で入手したような気がします。
そうそう、同人音楽はよく聞いていましたね。Sound Horizon『Chronicle』とかも持ってました……。
失恋ソングに共感を覚えるように
J-POPというジャンルのなかに、いわゆる失恋ソングなるものがありますよね。
ひとは、どうして失恋ソングを聞くのでしょうか?
胸を締め付ける心の苦しさを、少しでもやわらげるために聞くのでしょうか。それとも、失恋した自分自身に酔いしれるために聞くのでしょうか。
最たる理由に共感があるのではと考えています。つまり、自分と同じように、強烈な失恋を覚えたであろう歌い手に、曲を通じて共感し、世の中には自分と同じような境遇の人間がいて、失意のどん底にいるだろうに、尚、その感情を声高に歌い上げているのだから、自分も元気を出そう。
そう思って失恋ソングを聞くのではないでしょうか。
2001年に『月姫PLUS-DISC』に収録されていた.txt版『空の境界』の第1話から第4話を読んで、この続きを渇望し、2001年12月30日。生まれてはじめて、コミックマーケットに参加しました。
その後、2004年に発売された講談社ノベルス版、2007年に発売された講談社文庫版。
何度も同じ作品を購入し、異なる判型で何度も読み返しました。
いったい『空の境界』の何に、そんなに惹かれたのでしょうか。
そう自問自答したとき、ふと思いついたのが寂しさへの共感です。
- 作者:奈須きのこ
- 発売日: 2012/09/28
- メディア: Kindle版
遠野志貴に魔眼殺しの眼鏡を与えたミス・ブルーこと蒼崎青子は、『月姫』において、プロローグとエピローグにおいてのみ登場する印象的ではあるけれど、物語には、それほど関わらない人物です。しかし、志貴に先生と呼ばれ尊敬されている彼女は、志貴の人格形成に深く影響を及ぼしているでしょうし、魔法というTYPE-MOON世界を支える概念を代表する人物であるとも言えます。
そんな彼女が主人公の『魔法使いの夜』が出版される日が来たら、絶対の絶対に読みたい。そんなふうに思っていましたが、2012年にビジュアルノベルゲーム『魔法使いの夜』が発売されたとき、そして今に至るまで、完全にスルーしています。
公式サイトに行ってすらいません。
どうしてでしょうか、まさか『ANGEL TYPE』と同じく、俺が読みたいと思っていたのは小説の『魔法使いの夜』であって、ゲームの『魔法使いの夜』じゃない! という謎のこだわりでしょうか。だとしたら、恥ずかしさのあまり今すぐ穴を掘って飛び込むしかありません。
今やあなたは僕らの敵だ
同じような感情は、上遠野浩平に対しても抱いています。
1999年、書店の平台で『夜明けのブギーポップ』の表紙を見たとき、心を撃ち抜かれました。シリーズ1巻に相当する『ブギーポップは笑わない』と、元々、買う予定だった『ラグナロク』の2冊を買いました。
先に『ラグナロク』を読んで面白いと感じ、2巻以降も買おうと思ったのですが、実は『ラグナロク』は結局1巻だけしか読んでいません。その後に読んだ『ブギーポップは笑わない』に、あらゆる感情を奪われて、お小遣いのすべてがブギーポップに持っていかれてしまったからです。
- 作者:上遠野 浩平
- 発売日: 2015/01/10
- メディア: Kindle版
小説で読んだときは、それほど印象に残りませんでしたが、深夜アニメを見ていたときに電撃文庫CMの、30秒Ver.が流れて、それ以来、ずっと記憶に残っています。
たとえば宮下藤花や水乃星透子について考えるとき、無限にいろいろなことを考えつづけてしまうのですが、その思考の軌跡と言うか、経路みたいなものは、両儀式について考えているときに近しいな、と気付きました。
寂しかったのではないか、と察します。
失恋時に失恋ソングを聞いて共感を覚え、自らを慰めるのと同じように、寂しさを持て余し寂しさに身を浸からせた登場人物に共感を覚え、自らを慰めていたのではないでしょうか。
だから、ある時期から、しぜんと距離を置くようになったのかもしれません。
だから『魔法使いの夜』をスルーしたり、上遠野浩平の新刊を追わなくなったのかもしれません。
在りし日に想いを馳せる
雲上四季を昔から読んでくださっていた方は、ご存知かもしれませんが、昔は、お恥ずかしいことに、積ん読を、ある種のステイタスだと捉えていました。
部屋には1000冊以上の本が常時あり、それでも古書店を巡って相場より安いものがあり買い求め、いずれ読むべき名作や古典を見つけたら買い求めていました。
しかし、実家を出るタイミングで自分の意識を変えようと思い、未読も含めて、多くの本を売り払ってしまいました。それ以来、物欲が大きく減退し、自分でもちょっと自分の在り方が変わったなと感じました。
実家を出てから何度か引っ越しを経験していますが、上遠野浩平と川上稔、そして森博嗣の著作は、まだ売り払っていません。いずれ読み返す日が来ると、まだ信じているからです。
5年ほど前に、こんな記事を書きました。今でも、ときどき思い返します。
閑話休題。
ブギーポップも、佐山・御言も、犀川創平も。今は、まだ再会したい気分にはなっていませんが、いずれ必ず、再会したくなる日が来るだろうなと思っています。
それが果たして、再び寂しさを得てしまい、共感を求める日なのか、あるいは何もかもを超越して、懐かしさに駆られて読みたくなる日なのか。
そんな日が来て、あの在りし日と同じように熱中して読むことができるのか、はなはだ不安ではありますが、今は、もう少し寝かせておこうかなと思うばかりです。
- 作者:森 博嗣
- 発売日: 2001/03/15
- メディア: 文庫
終わりに
なんだか飲み屋で、ぐだぐだしながらするようなことを書き連ねてしまいました。
相変わらず落ちがない雑談で申し訳ない限りです。こんな秋山ですが、オススメの作品がありましたら是非、お教えください。