大岩雄典 米光一成 2人展+放送と銘打たれたイベント『人数・時間・対象年齢』の全放送を視聴しました。
得るところの多いイベントでしたので、感想を書くことにします。
イベントの概要について
『人数・時間・対象年齢』は美術家の大岩雄典さんとゲーム作家の米光一成さんの作品を展示しつつ、会期中の2月11日から2月20日に掛けて、毎晩、対談や鼎談を放送するというイベントです。
背景として2021年8月に開催された『物語に参加させるとはどういうことか』というトークショーが挙げられます。こちらは上記2名の他、劇作家の岸井大輔さんを加えた3人によるイベントで、多くの議論が交わされましたが、会話するだけでは実感が得られないことから、今回の展示に臨んだ様子です。
会場では過去作が展示された他、米光さんの作品を大岩さんがインスタレーション化する試みの他、大岩さんが自身の過去作をゲーム化した新作も用意された様子です。
また、発端となったキーワードは物語・参加・ゲームでしたが、展示+放送のタイトルとしては『人数・時間・対象年齢』というボードゲームにおける枠組みを連想させる文字が冠せられており、パッケージやフレームワークも大きなテーマだったと言えます。
わたしは、放送チケットを購入し、全10回の放送を視聴させていただきました。
以下の感想では、各放送に関する感想となります。
トークイベント「オープニングトーク(無料放送)」
初日は、作家2人と企画者の岸井さん3人によるトークイベント。
大岩さんが手がけられている美術作品については『物語に参加させるとはどういうことか』を視聴したときに聞いていたので興味深く思っていましたが、そのジャンルのことをインスタレーションと呼ぶとは認識していませんでした。
日本語に訳すと空間芸術になるのでしょうか? 調べてみると、わたしが好きな塩田千春さんがインスタレーション作家として挙げられていて「あれが、インスタレーションだったのか」と膝をたたきました。
インスタレーションという言葉が分かると、俄然、興味が湧いてくるのが、
米光一成のゲームを大岩雄典がインスタレーションする
https://playsand.work/s/numbertimeage/
です。
果たして米光さんの過去作が、会場において、どのように展示されているのか、展示チケットを購入し、無理にでも時間を捻出して、会場に足を運べば良かったと後悔した瞬間です。
また、頭に残った発言としては「毒薬を作るのであれば、薬も作る必要がある」と「作家がゴールを決めていないゲームは徳が低い」があります。わたしは頭のなかで「投げっぱなしジャーマン」と呼んでいるのですが、あまりよろしくないと感じていたので、創作に関わっている方として共感と尊敬の念を抱きました。
トークイベント「コントとゲームとインスタレーション」
ゲストとしてコント作家のワクサカソウヘイさんを招いたトークイベント。
お笑いは最近になってようやく面白味が分かってきたので、勉強中です。
面白かったのは「アートはどうマネタイズすればいいか分からない」というような発言。確かにお笑いは、たとえばライブを開催して、お客さんにチケットを買ってもらえばお金が入ってくるので矢印の向きが明確です。それに対してアートって、確かにお金の導線が不明です。世の芸術家は、どのようにして食っているのでしょう??
トークイベント「米光一成 アナログゲーム全自作を『人数・時間・対象年齢』で振り返る」
米光さんが自作を振り返るトークイベント。
『想像と言葉』の公称プレイ時間が30分であることに違和感を覚え「今なら15分かな?」と呟いた場面で、米光さんが現代を生きるゲームデザイナーであると感じました。
ざっくり昔と言いますが──昔はボードゲームの総数が少なく、時間に対してゲームの方が少なかったです。より長時間、楽しむことができるゲームに価値があると捉えられていました。
近年はボードゲームの総数が激増し、相対的にプレイに割ける時間が減り、ルール説明の時間が短い作品、より短い作品が濃密に楽しめるゲームの価値が増しています。
「今なら15分かな?」という言葉には、実際にゲームが遊ばれているシーンを見据えているのだなと感じました。
ゲームデザイナーのデザイナーズノートが好きなので、このゲームは、こういう意図で作ったという話は永遠に聞いていられますね。
演出家とゲームをプレイする「『あいうえバトル』のゲームメイク」
途中で見るのを止めてしまいました。
一昔前にあった、ゲームプレイの様子を、ノー編集でそのままアップしているYoutubeのような印象でした。
演出家とゲームをプレイする「『クソゲー化拡張パック』で『想像と言葉』をPLAY」
このイベントは、わたし自身、参加させていただきました。
別途、感想を書いています。
トークイベント「『ゲームを演出してみてどうでしたか』」
『あいうえバトル』を演出した篠田千明さんと、『想像と言葉』を演出した谷竜一さんを交えてのトークイベント。
米光さんと他3人のすれ違いが印象的でした。
ゲームを遊ぶ動機に対し、米光さんのベクトルは勝利に向かっているのに対し、篠田さんと谷さんは楽しむことに向かっているのかなと感じました。
ゲームを無理にふたつに分類すると、勝利や攻略、難易度に対する克服を目指すゲーマーズゲームと、他プレイヤーと楽しい時間を共有することを目指すカジュアルゲーム(あるいはパーティゲーム)があると言えるかもしれません。
米光さんのゲームは、どちらかと言うとカジュアル度の高い、パーティゲームだと認識していましたが、そのゲームデザインの根底には「勝利を目指す」というコアがしっかりあるので、ただの遊んで楽しいゲームにならず、一般に敷衍し、ヒットしているのかもしれないと感じました。
『記憶交換の儀式』は、やっていることはゲームだけど、勝ち負けを目指さないからゲームではなく儀式。これを踏まえると『光より遅く』がゲームではなく、ポエムと位置づけられているのも納得です。
勝ち負けを目指さないゲームって、世の中に存在しないのでしょうか?
トークイベント「崇高とインスタレーション」
ゲストとして星野太さんを招いてのトークイベント。
崇高というのは、極めて多義的に空間全体を使っている芸術のことで、美の過剰ですとか、無限のなかで有限を表現するか暗示するそうです。
美術界において星野さんは崇高の第一人者として知られているらしく、そんな星野さんとインスタレーション作家の大岩さんの対談だから「崇高とインスタレーション」というタイトルがつけられているのだと説明されて分かりました。
全体的に聞きやすく、安心して傾聴できました。
お互いに変に茶々を入れることもなく、真摯に向き合い、お互いの考えや作品をリスペクトしあっている姿勢が見て取れました。ありがとうございました。
トークイベント「ルールは開かれていて閉じている」
劇作家の柴幸男さんを招いてのトークイベント。
展示会場の一角で収録をしており、ときおりお客さんの声が入り込み、前日までの(「崇高とインスタレーション」を除く)トークイベント以上にイベント感がなく、3人の雑談を隣で聞いているような感覚でした。演劇や演出に携わっている方が、多く関わっているはずなのに、視聴者目線が欠けていることに対し理解に苦しみます。
大枠としては面白かったです。特に本展示のメインタイトルである『人数・時間・対象年齢』という枠組みにフォーカスが強くありました。
トークイベント「大岩雄典 全インスタレーションを『人数・時間・対象年齢』で振り返る」
大岩さんの自作解説は、非常に分かりやすく良かったです。
インスタレーション作品は写真で見てもよく分かりません。その場にいって体感しないと理解が難しく、あるいは体感したとしても理解の度合いをどこまで高められるか分かりません。
そういう観点では、手掛けた本人による解説には感謝しかありません。写真を見る以上のものが伝わってきて素晴らしいと感じました。願わくば、カメラを持って展示会場内も歩き回っていただき、大岩さんの最新作であるはずの、米光さんのゲームをインスタレーション化したものも見たかったですが、それをやってしまうと「展示チケットとは?」となってしまうから控えたのでしょう……。
大岩さんの過去作をゲーム化した作品は、素直に興味深いと感じました。聞いている限り、ゲームではなくアートのようですが、機会があれば触れてみたいですね。
トークイベント「エンディング」
傑作ではないでしょうか。
種明かし、もしくは解説と捉えました。
とにかく岸井さんの異様さが際立っていて、どれだけの覚悟で創作に向き合っているか、そしてどれだけ米光さんが好きなのかが伝わってきました。
篠田さんの演出に関しても納得しましたし、「ルールは開かれていて閉じている」に感じた司会不在の違和感も、common cafeで2008年に開催された『沈黙のトークショー』からの文脈を考えれば納得しましたし、全体的に演劇寄り、アート寄りの人選で、ゲーム枠がいない理由も分かりました。
発言が興味深く、何度も巻き戻してはメモを取りまくりましたが、特に「届き先で皆がやっていると嬉しいんだけれど興味がないので嬉しいだけ」「500年くらい経つと米光さんのゲームは全部、忘れられているけれど、ぼくのやつは皆やってる」「ぼく、烈海王なので、空手のそこは2000年前に通過している」は名言だと感じました。
名言つながりだと、大岩さんの「続く」もこれ以上はない締めでしたね。
終わりに
非常に充実した10日間でした。
システム作家をテーマとした、次回、岸井さんと米光さんによる34回目のイベントが楽しみです。