雲上四季

本と涙と謎解きと、愛しさと切なさとボードゲームと

940『砂漠』

砂漠

砂漠

 本書は良質な青春小説なのだけれど、それをそのように評価しているのは三十代以降であって、十代や二十代の読み手はリアリティがないと評している――というような文を読んで、「だとしたら楽しめないかも」と危惧していたのだが、なんてことは、まるでなかった。
 以下ネタバレ。

「本当はおまえたちみたいなのと、仲間でいたかったんだよな」

 多分、秋だったと思うのだが、就活に関する話題が出てきた。一年生の秋で就活は早すぎるだろうと考え、本書が一年生の春夏秋冬を描いたものではないことに気がついた。登場人物の大半が、苗字だけで呼ばれているのでもうひとつ叙述があるかもなと思いつつ、秋山は本書を四人の大学生の四年間を描いたものとして読んだ。

 とりあえずここで強調しておくけれど、面倒臭いことや、つまらなさそうなことの説明は僕はしないつもりだ。(中略)不要なことは述べないので、七月の次が九月の話になる可能性もある。僕の恋愛は僕にとっては特別だけれど、たぶん一般的な目から見ればオーソドックスな内容に違いないので、わざわざ述べる必要はないと思うし、それにやっぱり、私的なことを大っぴらに話すのは品がない、いや、もったいない。だから彼女と裸で抱き合う場面は、風呂に浸かる場面や散髪に行く場面同様、割愛しようと思う。

 上の文を読んだ瞬間には驚いた。今まで秋山が読んできたのは、彼女と裸で抱き合う場面は主人公のアイデンティティに関わる重要なシーンであり、ときには風呂に浸かって陰毛が海藻のように揺らめくのをもっともらしく眺めたり、散髪して失恋のショックを癒すような作品だってあった。そういう主人公について個人的なシーンをばっさり削って、では何が残るのかと言うと前述の通り、四人の大学生の大学生活。冒頭に人生を鳥瞰するといった会話もあったが、これは一人称による神の視点ではないだろうか。すごい。
 さらに、客観的に物語られる鳥井、西嶋、東堂、南そして北村の日常生活が人によっては魅力的なのだ。麻雀したり、仲間内に女の子がいたり、誰が誰を好きであったり、告白して振られたり、ようやく付き合いだしたり、もしかして二人が付き合ってるのを知らなかったのって俺だけなんて科白が飛び出したり、どうでもいいことに物凄い悔しがったり、格好つけるために新しい服を買ったり。本書を評価するかどうかの境い目は、年代によって分けられるのではなく、ここで描かれたような青春に親近感を持つか、最初に引用したような、彼らの仲間に加わらなかった大学生のような思いを持つかの二種類ではないかと思う。

 以上ネタバレ。
 ところで、西嶋という登場人物がいるのだが、これが非常に気に食わない。同属嫌悪みたいなものかもしれないが。