雲上ブログ〜謎ときどきボドゲ〜

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ブレイブリーデフォルトの擁護派になろうと思います

 放り投げるどころか、買ったばかりの3DSLLを真っ二つにへし折りたいくらいに、中盤の展開は悪夢的でしたが、エンディングが良かったので、すべて許して擁護派になろうと思います(どれだけ上から目線なんだ……。

と言うわけで、

『ブレイブリーデフォルト フォーザシークウェル』クリアしました。
 全ジョブをマスターしたりしているうちに、プレイ時間が50時間を越えていました。ノルエンデ村の復興が、ぜんぜん終わってないので、もう少し、ゆるゆると遊ぶことになるでしょうが。ひとまずはクリアと言って差し支えないでしょう。
 と言うわけで、かんたんに感想でも。ネタバレは中盤以降に集中させますので、それまでは比較的、大丈夫かと。気になる人は回れ右が推奨です。

面白いとは何か? ゲーム性とは何か?

 いきなり地雷原に突入している感じですが、デジタルゲームにおける「面白い」と「ゲーム性」について、考えてみたいと思います。
 少し前に『真・女神転生4』をクリアしたのですが、遊び始めたときは最高に面白かったんですよね。その時点では「真・女神転生4をクリアしたんだが、最高に傑作だった」みたいなエントリタイトルを考えていたのですよ。それが、終盤の展開を経て、クリアに至り、最終的には「真・女神転生4が面白かったという話」というエントリタイトルに落ち着きました。
 どうして、そうなったかは後述するとして、改めて「面白い」と「ゲーム性」について。
 元々、曖昧な用語なので、抽象的なまま進めると、基本は「すべてのプレイヤは、ゲームに対して求めている何かがある。その何かが満たされたとき、プレイヤは面白かったと感じる」これだと思うんですよね

プレイヤがゲームに求める「何か」

 では、その「何か」とは何か? と言われると苦しくて、完全にひとによって異なるように思います。
 たとえば『ドラゴンクエスト』でレベル上げが楽しいって明言している方がいるじゃないですか*1。最近だと『艦これ』でせっせとレベリングしているひとでしょうか。秋山にとって、レベル上げと言うのは、わりと作業感があって、好ましいものではないのですよね。やっていることが単調で、頭を使う余地がなく、その割に注意していないと雑魚相手に負けてゲームオーバーになることもあり、ゲームの流れを疎外しているように感じますし、端的に言って退屈です。
 その一方で、強力なボスを倒すために試行錯誤することは好きです。たとえば、炎属性の攻撃を多用してくるので、炎系の防御を整えておく必要があるだとか、睡眠魔法が掛かりやすいので、眠らせるのが有効だとか。とは言え、すべてのボスで、それをやられたら、その楽しかった試行錯誤も、また作業に堕してしまい、ゲームの流れを疎外するように感じます。
 では、一切の戦闘やレベル上げを排して、淡々と物語が進むのを眺めるだけにするのはどうか? プレイヤとゲームの間で発生するインタラクションは物語の行方を選択するだけで、その他の要素はゼロ。──この思考を推し進めたのが、ある意味でノベルゲームかもしれませんね。でも、ノベルゲームはノベルゲームで、ひとによっては「単なる紙芝居、ゲームじゃない」と批判されることもあるようです。

敷居をプレイヤに委ねるということ

 ひとによって楽しいと感じたり、作業と感じる閾値が異なる以上、ゲーム側で設定するのではなく、プレイヤの手に委ねてしまう。これが、いわゆる難易度設定というシステムだと思います。
 最初に、この概念を知ったのは『イース』でしょうか。イージーモード、ハードモード、ナイトメアモードなどがあり、『イース』をRPGではなく、アクションゲームとして捉えたとき、何周も楽しめるというメリットもありました。

ブレイブリーデフォルトの場合

「難易度」はイージー、ノーマル、ハードの3種類で敵が弱くなったり強くなったりします。
「目的地マーカー」をオンにすると、次に、どこに進めばフラグが立てられるのか/ストーリーが進むのか指示が出ます。
「経験値入手」「pq入手」「ジョブポイント入手」などをオフにすれば、縛りプレイが実現しやすいです。
「エンカウント率」まで2倍〜ゼロの間で設定できます。
 その他にも「イベントのオート再生」「イベントのスキップ」「片手プレイ可能なボタン操作」「オートセーブ」「オート戦闘」「4倍速戦闘」などの設定も可能で、難易度の観点からも、システムの観点からも、プレイヤの手に委ねられているところが多く、敷居を好きに上げたり下げたりすることが出来るのが素晴らしいです。

RPGというシステムにおけるひとつの到達点

 繰り返しになりますが、プレイヤによって、何を楽しく感じ、何を作業と感じるかはバラバラです。
『ブレイブリーデフォルト』に見られる多くのプレイヤに応えるために、敷居を上げたり下げたりできる権利をプレイヤの手に委ね、やろうと思えば徹底的に易しくできるという手取り足取りな気遣いは、RGPというシステムにおけるひとつの到達点だと感じました
 このシステムの作り込みに関しては、素直に感服しますし、素晴らしいことだと思います。

さらにストーリーの入りやすさ

 その上、ストーリーは驚くほどシンプルです。

世界に突如、大穴が空いた。
カルディスラ大陸を抉るように空いた大穴は、
近くの小さな集落ノルエンデを丸ごと飲み込んだ。
大穴からあふれ出した闇は、
人々に輝きをもたらしてきたクリスタルをも飲み込む。
風は止まり、海は濁り、山は火を噴いた。
世界はゆっくりと、確実に闇につつまれようとしていた。

 これがゲーム開始時点での状態で、世界に4つあるクリスタルを解放して、闇を払うために、主人公とクリスタルの巫女の旅は始まるわけです。
「ちょっとちょーっと、いくらなんでも古典的なんじゃないの?」とこちらが慌ててしまうくらい、ストーリーの敷居も下げられています。

面白いゲームシステム

 今までにマイナス要素を払拭するところを紹介しましたが、プラス要素となるシステムもあります。
 ターン数を操る「ブレイブ&デフォルト」というのは斬新ですね。BPの前借りをして、雑魚戦を速攻で終わらせたり、BPを貯めてじっくりと戦うボス戦などと差別化が出来るのも良いです。
 必殺技の音楽が鳴っている間は、全員のステイタスが向上したり、音楽が鳴り止む前に次の必殺技を放つと効果が累積するなどは、『ファイルファンタジー』に見られたアクティブバトルを向上させた感もあり良いです。

ここから先、ネタバレ注意

 ネタバレなしで語ることができるのは、これくらいでしょうか。
 ここから先はネタバレありとなるのでご注意ください。

面白いとは何か? ゲーム性とは何か?

 さて、今一度、この問いに戻ってみたいと思います。
『真・女神転生4』を遊んだときは気づけませんでしたが、『ブレイブリーデフォルト』を遊んで気づいたことがあります。
 面白いとは、ゲーム性とは──ひとによって異なる、そんなのは当たり前のことです。誰にとっても面白いゲームとは即ち、平易なゲームで、結局は及第点でしかないゲームです。そんなゲームを傑作と言うことは出来ませんし、批判も擁護も何も出来ません
『ブレイブリーデフォルト』に見られたひとつの解、それは取捨選択です。
 第5章に入って10分で気がつきました。このゲームは恐ろしい覚悟を持ったプロジェクトチームによって推進されたゲームですね。あんなにシステム面で、敷居を下げる努力をしているというのに、その本質は信じられないくらい邪悪で、プレイヤに作業を強いる、苦痛に満ちたゲームだとは思いもしませんでした

それぞれの真相

 なるほど、語らない技術ですね。
 第1章から第4章においては、ブレイブ・リーがデフォルトであり、フライングフェアリーがライイングエアリーであることが徹底的に伏せられています。記憶喪失のリングアベルと各アスタリスク所持者の真相も同様です。
 語れなかった真相が語られる第5章〜第8章は面白いです。
 特に単に嫌味で悪いやつだった敵が、実は、そうではなかったと分かるのが良いですね。バハムートと共に善戦するも敗れるオミノスの元へ、ハインケルが駆けつけてくるシーンはグッと来ましたし、ユルヤナの仕立屋で正気を保っているメフィリアを見たときは救われた気になりました。エタルニアの町に立っているナジットにエインフェリアが声を掛けるのも良いですね。キキョウをホーリーが認めたり、ブレイブがアナゼルを息子と呼び、共に戦ったり、ヴィクターもどんどん好きになりました。

物語の次元を変えるための作業

 と、ストーリーは素晴らしいです。
 あくまでもストーリーは。
 問題は、このストーリーを享受するために、プレイヤが強いられる作業ですよ。
 各地を回り、アスタリスク所持者と再戦し、クリスタルを解放し(何回、Xボタンを連打したことか……*2)、何もかもがなかったことにされて、また新しい世界をやり直すはめになるのは、とにかく苦痛でした。
 ティズたちが、どんどん世界から剥離していくのは、心理的にもきつかったですね。第3章における地底火山洞でアニエスがエギルを救うシーンは、このゲームでも屈指の名シーンだと思うのですが、あれがなかったことにされ、宿屋の主人カールに一見客扱いされたときは、もう泣きそうになりました*3
 なんで、こんな作業的な行動を、何度も繰り返させるのか。もっと他にやりようはなかったのでしょうか。

スタッフが選択したこと

 と、ここまで考えて気づきました。
 おそらく他にもやりようはあったのでしょう。色々な方策が検討されたと推察されます。しかし、最後には、今の形が選択されて、これを形にするためにプロジェクトが推進されたということは、つまり──、
『ブレイブリーデフォルト』のスタッフは、プレイヤに作業を強いてでも、あのエンディングを提供することを優先した
 そう思い至った瞬間に、それまで『ブレイブリーデフォルト』というゲームに感じていた、すべての恨み辛みは、(ある程度までは)晴れて、そういうことなら許してあげようという穏やかな気持ちになり*4、今後、BDFFはクソゲー派に会ったら「そんなことはないよ」と擁護に回ってあげようという気持ちになりました。
 つまり、この感情の変化がゲーム性ではないでしょうか?
 多分、もっと安易なやり方はあったはずです。批判の矢面に立つことなく、無難に、ただ「面白い」だけのゲームを作ることだってできたはずです。でも、そうしなかった。「最悪の駄作だ」と批判する敵を作ってでも、「傑作だ」と絶賛する味方を作るために、茨の道を進んだ。そう、判断できます。

終わりに

『ブレイブリーセカンド』は予約して、発売初日に買うことになるでしょう。
 また、あの悪夢的な作業を強いられたら、今度こそ「ふざけるなよ、ヒューマン!」と憤りそうですが、エンディングに期待の持てるシリーズであることが分かったので、ふしぎと許せそうな気もします。発売日は未定ですが、とても楽しみですね。

http://special.member.jp.square-enix.com/bdfts/player/?username=2039086

追記

 なんだか、外側の話ばっかりで、内側の話をしていませんでしたね。
 ゲーム中は概ね、リングアベルに感情移入して、イデアかわいいなあと思ってました。最後のリングアベルの心中を慮ると胸が苦しいですね。アニエスとイデアは迷うことなく元の世界へ戻ったことでしょう。ティズは借りていたものを返さないといけないことを知りつつ戻ったのですね。そして、リングアベルは、ずっと一緒に旅をした、二番目の世界のイデアではなく、あの日、自分が救えなかった、そしてずっと恋焦がれていたイデアを、今度こそ救うために一番目の世界に戻ったのですね。プレイヤとしては、四人一緒に仲良く幸せになって欲しかったのですが、安易にそうしないところもこのゲームの好きなところです。
『ブレイブリーセカンド』でも、リングアベルとイデアのコンビが出ると嬉しいですが、3DSのハードを駆使したトレーラーを見たら、早くもマグノリアが好きになり始めていて、早くいいところに行きたいです。

*1:ドラクエは6までしかやってないので、今となっては不適当な比喩かもしれませんことご了承ください。

*2:何回目だっけと呟くティズに対して、リングアベルとイデアが、それぞれ回数を答えるところに、なんだかスタッフの気遣いを感じます。

*3:改めて『シュタインズゲート』の「なかったことにしてはいけない」は名言だということが分かりますね。

*4:相変わらず上から目線ですこと