雲上四季

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なぜステルス超音速機を隠し持っていてはいけないのか?

かりに無限に解釈・推理できるとしましょう。その場合でも、無限だから成立不可能なのではなくて、反証可能性が必ず残るのだと捉えます。具体的により有力な別解が出てくるまでは、最有力な答えを正解にしておいて問題ありません。フェアネスを実現するのに無限の解釈を先取りして調べ尽くす必要はなくて、有限の記述内で整合性があって、他の説より有力な記述があればよいのです。

 仮にではなく、叙述トリックの可能性を考慮した段階で、無限に解釈・推理することができます。
「一日(一年でも)経っていた」や「高村薫は、大阪-横浜間を一時間内に移動できるステルス超音速機を隠し持っていたのである」という真相がどうして無理があったり、そのように解釈できる情報が不足しているのでしょう? その可能性がどんなにばかげていて、常識的に考えて検討するに値しなかったとしても、その理性の裏をかくのが叙述トリックなのです。つまり、元町や旧居留地といった言葉を出すことで、舞台がさも現実に存在する地球上であるように書かれていること、それ自体が叙述トリックだったということも充分に可能なのです。そしてその可能性を許してしまった場合、無限に存在する可能性を無限に否定する材料を配さなくてはならず、それは事実上不可能です。
 sirouto2さんは「有力な別解が出てくるまでは、最有力な答えを正解にしておいて問題ありません」とおっしゃいますが、それは違います。叙述トリックを用いたミステリにおいて「最有力な答え」など存在せずすべての別解が同等の有力性を持っているのです。
 これだけで終わると観念的な話になってしまうので、太田忠司『予告探偵 西郷家の謎』を例に挙げて説明したいと思います。以下、ネタバレします。

予告探偵―西郷家の謎 (C・NOVELS)

予告探偵―西郷家の謎 (C・NOVELS)

 続きを読むのなかに入れていますけれど、念のため反転もしておきます。
『予告探偵 西郷家の謎』は1950年12月という戦後、300年以上も続いている西郷家のお屋敷・ユーカリ荘を舞台としたミステリです。ここを「すべての事件の謎は我が解く」と言い放つ予告探偵が訪れて、案の定、殺人事件が起こってこれを解決するというものです。で、ネタを割ってしまいすと、実はこの1950年というのは西暦ではなく火星暦だったのです*1ユーカリ荘は火星に建てられた屋敷で*2、使用人もロボットだったりします。
『予告探偵 西郷家の謎』は200ページ強の本で、税抜き900円です。真相が明かされるのはラスト10ページぐらいで、当然ですが、それまではさも現実世界の日本が舞台であるかのように書かれています。アンフェアにならないように「日本」や「東京」といった記述は確かありませんでした。1950年という年号も「西暦」と言っていないのでルール違反には抵触しません。「戦後」という表現に関しても「第二次世界大戦」と言っていないので問題ありません。したがって、ミステリの文脈に沿って言えば、本書は紛れもなくフェアな作品と言えるでしょう。
 しかし、一戒・一則を満たしているか否かであれば、まず満たしていないと答えてしまって構わないでしょう。

 書いていて気がついたのですが、一戒・一則が「フェアな推理小説の(必要)条件」ではなく「sirouto2さんが推理可能な推理小説の(必要)条件」ではないですかね?

*1:読んだのが2年前だったので名称は違ったかもしれません。宇宙暦とか。

*2:前述の通り読んだのが2年前なので記憶が曖昧です。月面だったかもしれません。