雲上四季〜謎ときどきボドゲ〜

本と涙と謎解きと、愛しさと切なさとボードゲームと

あなたの読書スタンスを教えてください

 小説の評価が気になります
 自分は正しく読めているのか、理解しているのか、誤読していないか、評価は適格か、論理的か、客観的か、理性的か。不当な難癖をつけて、作者が意図したように受け取れていないのではないか。過剰に行間に読み、作者の想像を越えて没頭してしまっていないか。
──と、不安になる一方。読み方はひとつじゃない。正しい読み方も誤った読み方もなく、読者の数だけ読み方があって、あらゆる読み方が許容される。その自由が、本読みには認められている……とも思います。
 最終的に、小説のことをもっと深く理解したいという欲望があるのだと思います。これは小説全体を指すと同時に、ある特定の一冊を指すこともあります。たとえばいま読んでいるという理由で取り上げますが、冲方丁オイレンシュピーゲルは近未来のウィーンが舞台ですが、ウィーンの歴史を知ることで世界観をもっと深く理解できるならウィーンについて調べたいですし、銃器を知ることで戦闘シーンをもっと鮮やかにイメージできるなら銃器について調べたいです。また、SF読みの見地から評価できるポイントがあるのであればSF読みの感性を身につけたいですし、成長小説読みの見地から評価できるポイントがあるのであれば成長小説読みの感性を身につけたいと思います。そうして自分自身の中に、多様な視点、多様な評価軸を備えて、豊富な背景知識と照らし合わせながら、いかなるコードも受容できる状態で、あらゆる角度から、可能な限り面白く読み、そして冲方丁がなにを思ってこの小説を書いたのかを空想しながら、この小説をもっと深く理解し、この小説を媒介に小説全体についての理解を深めたいです。……あー、ある意味でこれは、知識欲のようなものかもしれませんね。

 さて、小説をもっと楽しむために、多様な視点を獲得したいのですが、人間はどんなにあがいても人ひとり分の人生しか送ることができないので、視点はひとつしか持つことができません。けれど、他者と関わることでそのひとの視点を借りることは不可能ではないと思います。たとえば最近のいちばんの作品だと思っている清野静時載りリンネ!』を例に挙げてみます。これは角川スニーカー文庫から刊行された作品ですが、非常にSF度が高く、秋山としてはライトノベル読みよりも、SF読みにこそ読んでもらいたいと思っています。理由は本書に時載りという種族が出てきたり、時間物であったりするから……ではなく、地の文の語りが、オール・タイム・ベストに取り上げられるようないくつかのSFと非常に似通っているからです。つまり、ガジェットやファクタはSF的ではないのですが、文体や世界観全体を眺めると、そこにセンス・オブ・ワンダーがあるような気がするのです。これはどちらかと言うと秋山個人の(もしくは生来の)感性ではなく、秋山のなかに作られたSF読みとしての秋山による評価ですね
時載りリンネ!〈1〉はじまりの本 (角川スニーカー文庫)

時載りリンネ!〈1〉はじまりの本 (角川スニーカー文庫)

 このようにSFを読んでいなかったら、面白く読むことができなかったかもしれない本に巡りあうと、より一層、色々なジャンルに挑戦して、さらに多くの読み方を獲得したいなと思います。


 そんな感じで、可能な限り小説を面白く読もうとしているのですが、他の方はどうされているのでしょうか?
 本の感想やその評価を読みながら「このひとは、どんなスタンスで本を読んでいるのだろう」と気になります。