作者が書きたくないあとがきなんて要りません。本編内で全てを出し切って下さい。
http://d.hatena.ne.jp/hobo_king/20070908/1189256141
作者本人がその作品の楽しさに自信のない作品なんて要りません。作者は自分の作品の一番のファンでいて下さい。
売れ行きを気にして妥協した作品なんて要りません。例え一冊しか売れなかったとしても作者が最高に気に入っている作品を読んでみたい。
上記エントリに以下のようなブクマを残しました。
疑問。例えば文学にはそういう作品が多いのに、どうしてライトノベル読みは文学に手を出さないのか?
実は最後まできっちり読まずにブクマしました。とりあえずブクマしておいて、後で読めばいいかと思っていたのです。先ほど、改めて読み直してみたら誤読していたことに気づき、やや筋違いなコメントでブクマしてしまったなあと後悔しました。
最初に読んだ時点で秋山はid:hobo_kingさんの主張が以下のようなものであると捉えていました。
・充分な時間をかけ、かつ才能が枯渇することを臆しないなら渾身の一作が書ける。
・しかし枯渇してもいいから渾身の一作を書けというのは、多作であることを義務付けられたライトノベル作家には無理な要求。
ところが先ほど、改めて読み直したところ「才能」という言葉も「枯渇」という言葉も見当たりませんでした。どうやら「渾身」という言葉に秋山が勝手に抱いているイメージが暴走してしまったみたいです。なんかその一撃を放ってしまったが最後、自らも朽ち果てる運命*1にあるような一撃ってイメージがあるのですよね*2。
まあ、仮にhobo_kingさんのエントリの主旨が上記のようなものであったとして、どうして「文学にはそういう作品が多い」と言えるのか。理由は極めてかんたんです、文学作家には締め切りが存在しないからです。
ライトノベル作家の元に3ヶ月なり4ヶ月なり*3の周期で訪れる締め切りというものが、文学作家の元には訪れません。彼らは好きなだけの時間を一作に費やすことができ、書き終わった時点で文芸誌の編集者に渡すのです。したがって才能が枯渇することを臆せず書けるかどうかはさておき、一作に充分な時間をかけることだけは可能なのです。その点だけをしても渾身の一作が登場する確率は、文学の方がライトノベルよりも高いなあと思ってのブクマコメントでした*4。
追記
あ、閃きました。とりあえずこれを買って読めばいいんじゃないでしょうか。
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追々記
tokoroten999 「文学作家には締め切りが存在しないからです」マジレスするのもなんだが、そんなことはありません。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/sinden/20070910/1189386025
おや? 忘れてしまったので出典は明記できませんが、群像かどこかの編集者が締め切りはないと述べていたように思います。まあ、毎号連載の作品にはさすがにあるでしょうけれども。