雲上四季

本と涙と謎解きと、愛しさと切なさとボードゲームと

何を犠牲にしようとも絶対に望みを叶えるという覚悟が問われるゲーム

 だと感じましたワンダと巨像は。

ワンダと巨像

ワンダと巨像

 訛り実況で有名なキリンさんの、実況プレイ動画を見たときから、ずっと遊びたいと思っていたゲーム『ワンダと巨像』を遊びました。
 前作『ICO』は途中で投げてしまっているのですが、今回は、なんとかクリアすることができました。
 いわゆるザコ戦がなくて、ボス戦を16回ほど繰り返すことになるアクションゲームでしたが、印象としては手先の器用さを求める推理ゲームに近しかったです。巨像の肉体にしがみついて、弱点を探し、的確に攻撃を加えていく。見たことのない生き物の生態を、実地で調べていくような感じです。
 ダメージを与えるという行為が、精神的にけっこう来ます
 一撃ごとに血液ではありませんが、黒い霧のようななにかが傷口から噴出します。巨像は苦しそうに叫び声をあげ、全身を振り回し、虫のようにしがみつくワンダを振り飛ばそうとします。プレイヤは握力の限り巨像にしがみつき、一瞬の間隙をついて、また攻撃を与えていきます。そして、苦しむ巨像。
 筆舌に尽くしがたい罪悪感です。
 巨像は、いずれも攻撃しなければ害のない存在であるように思えます。いったい、なぜ、彼らの聖域を侵し、倒していかなければならないのでしょうか。ワンダが祭壇に寝かした死んだ少女は何者なのでしょうか。ワンダはどうして彼女を蘇らせたいと思っているのでしょうか。物語の背景や価値観は説明されることなく、プレイヤは少女を蘇らせるために、ワンダを操作し、苦しみに悶える巨像に、また新たなる一撃を与えることを強要させられます
 淡々と遊ぶことはできませんでした。過去や経験といったものは抜きにして、半ば盲目的に自分自身にワンダを投影させて、理由はいったん置いておくとして、今は、なりふり構わず脇目も振らずに巨像を倒すのだ、それだけ!! と思い込まないとやっていけませんでした。だからでしょうか、最後のボスを倒したときに覚えたのは達成感ではなく、これ以上、巨像を倒さなくてもよいのだという解放感でした。
 自分にとって大切なひとを失ったとき、ワンダと同じように行動することが、果たして出来るのだろうかと思います。