雲上ブログ〜謎ときどきボドゲ〜

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テクニック

 少し前のことですが、萌ミさんのところにリンクが貼られていて、大変興味深く読ませて貰った記事。

 何の仕事でもそうだと思いますが、現場を楽しまないと。苦しくなれば苦しくなるほど、テクニックに頼りがちになってしまいますが、そこに頼らずにまず作品を愛して、自分が製作を楽しむことが大切だと思います。

 村田蓮爾氏はイラストレイタですので、ここで言うテクニックを想像するに「安易にフィルタやコピペを使って、楽をしてはいけない」というようなことを、言いたいのではないかと推測します。
 しかし、そのフィルタやコピペの使い方だって、勉強して練習しないと使えないわけで。考えてみれば、テクニックを得るために努力しているのに、いざそのテクニックを習得できたら、今度はそれに頼ってはいけない、というのはちょっとしたジレンマだ。


 自分は文学を志すものだから、このテクニックを文章に当てはめて考えてみよう。
 例えばA君は、場景描写が苦手だとする。物事を客観的に捉えることが出来なくて、書こうとしても「青い空、白い雲」なんてありふれたものになってしまう。そんなA君がある日「よっしゃ、いつまでもこのままだと駄目だから、気合入れて場景描写の練習でもするべ!」と数ヶ月頑張った。そしてその結果、A君の場景を描写する能力は見事上昇した。
 満足したA君は、場景描写に満ち溢れた小説を書き上げる。題は『風』、草原に吹く風を延々と300枚も綴った大傑作である。
A君「おい、B君! 俺の新作を読んでくれよ。大傑作だぞ」
B君「Aよ、確かにこの小説の場景描写は凄いが、物語性のカケラもないぞ」
A君「なんだってー!!」

 もっとも、現実には一つの能力だけが特化するように伸びることはなく、文章力・構成力・描写力といったものが満遍なく伸びる。そして、それらがあるレベルに達してしまうと、作者は満足することがあり、そうなると同じものしか書けなくなる。これを、“パターン化”という。


 テクニックとは、言わば反復練習の産物だ。
 同じ構図の絵を描きつづけることで、その構図の絵を瞬時に描けるようになったり。同じ顔のキャラを描きつづけることで、そのキャラなら瞬時に描けるようになったり。
 意識しなくてもルーチンワークがこなせるまで上達すれば、テクニックは身についたと言えるだろう。けれど、一つの漫画に、同じ構図の絵しかなかったり、同じ顔のキャラしかいなかったとしたら。一つの小説に、何度も同じ言い回しが出てきたり、科白の大半が口癖だったとしたら。
 テクニックとは磨くものであり、頼るものではないのかもしれない