公開は8月25日。
正式題は『死から逃げつづける私と、世界の果てを模した壁と、その向こうにある図書館。』。
http://jan.sakura.ne.jp/~colun/gaia/effort/03080149.txt
読みたい方は、どうぞこちらから。原稿用紙約25枚分。
この作品は今宵シリーズ*1での失敗を念頭に置き、自分が得意とする場景描写をなるべく行わずに、そして自分が不得意とする一人称小説を使って書いた。と、言ってもゼロから書いたのではなく、元から持っているテクニックも幾つか使った。三つ、紹介しよう。
・過剰な描写や説明。
・改行の少ない場面と多い場面を交互に。
・主人公に私哲学を与える。
上から順に。まず過剰な描写や説明とは、例えば主人公が本棚から本を抜き取り、中身が白紙であることに気付く場面。通常、それだけを説明するなら100文字もあれば充分だけれど、この小説ではその4倍、原稿用紙1枚を丸々使っている。そんなことにどんな意味があるの? と訊ねられたら、少し困るが、こうすることによって「主人公が冷静であることの証明・全体の雰囲気」を作品に与えていると答える。
次に改行の少ない場面と、多い場面に関して。これは単純に、緩急を表現している。主人公が一人でいる場面では、時間を気にすることなく思う存分に思考も行動もできるはず。逆に主人公がセカンドホワイトと対話している場面では、スピーディに進ませているつもりだ、地の文はあっても100字。
最後に主人公の私哲学、これは他の言葉で換言すれば、主人公の癖やこだわりと言ったもの。誰だって自分の理想や思想は持っているだろうから、それを前面に押し出すことでキャラ作りをしようということ。
既存のテクニックを紹介したところで、今回新たに挑戦してみたテクニックについて。
一人称小説で上手い人は? と訊かれたら、真っ先に思い浮かぶのは高畑京一郎。彼の作品は冷静な迅速さがある。けれど先日、舞城王太郎の『阿修羅ガール』を読み、これには感銘を受けた。地の文の所々に「うわ、マジかよ」「もう家、帰りたい」「やべ、濡れてきた」というような、実にストレートで単純明快なコメントが挿入されているのだ。今回は、それを手っ取り早くパクってみた。
その他に、西尾維新の陰も見える。自分は西尾維新の、似た言葉を連続して出すやつに相当毒されていて。今回も気がついたら「書とは……」なんて書いてしまった次第だ。まあ、今までは言葉回しだけをパクっていたのだが、今回は積極的にキャラクタも真似てみた。いや、正確には西尾維新の影響を受けたであろう上田志岐*2をパクってみた、というところだ。
パクった結果。作品としては凶が出たかもしれないが、今後成長していく自分としては吉のつもりだ。
最後に作品について解説を少々。
本作のテーマは“愛”だ。
男は女に「お前は生きろ」と言うが、結婚指輪を鳴らして女を呼び戻そうとする。逃げた女は男が自分を呼んでいる音に気付き、孤独な永遠と男と一緒の死を天秤にかけ、後者を選ぶ。これらの全ては、最後の3行で初めて明かされる。本作において、自分は最初の3行と最後の3行に、全力を傾けた。
一度始まった愛は終わらない、死が二人を別とうとも、二人の愛は終わらない。