まさかまさかの三読目。
秋山が初めて清涼院流水を読んだのは、高校に入学したとき。偶然入った書店の新刊コーナに、「第2回メフィスト賞受賞作」という書店員手書きの紙と共に、『コズミック 流』と『ジョーカー 清』は高々と積まれていた。
当時の秋山はミステリ作家と言えば、島田荘司、綾辻行人、栗本薫、京極夏彦、森博嗣ぐらいしか読んでなく、中でも第1回メフィスト賞を受賞した森博嗣は好きな作家だったので、氏と同じメフィスト賞受賞者である清涼院流水の著作に手を伸ばすのにあまり躊躇はなかった。
まず『コズミック』前半を、次に『ジョーカー』を通しで、最後に『コズミック』の後半を、という読み方です。なぜ、そんな奇妙な読み方を? と、疑問に思われるのは当然ですが、詳しい話は作品の確信部分に関わってきます。今はただ、理想的なその第三の読み方を前提としてそもそも『コズミック』は書かれたのです、とだけ申しあげておきましょう。
無難な読み方でも、無難な範囲内での読後感は得られるでしょう。でも、あなたがもし、退屈な日常生活に嫌けがさして、生涯で未体験の刺激をお求めなら、大アタリか大ハズレか気にせず、のるかそるか、迷わず第三の読み方を選択されますようオススメします。
著者の言葉に従い、『コズミック 流』*1を読んだ秋山は大いに驚いた。この本は十九篇の短編からなっているのだが、その全てが圧倒的なまでに不可能犯罪を描いているのだ。事件はすべて密室で起こり、被害者は首を刎ねられた上、背中に被害者自身の血液で「密室」と書かれている。一例を挙げるならば、走行中のタクシーという密室の中で、客をひとりも乗せていなかったにも関わらず、首を刎ねられるという運転手が登場する。十九個の密室&首切りの中には、どう考えても不可能なものもあれば、トリックを挟む余地があるものもある。しかし、たとえ犯人が複数いたとしても、これだけの殺人を繰り返し、そのどれも成功させることは不可能に近い。
そう、事件は十九個だけではないのだ。
今年、1200個の密室で、1200人が殺される。誰にも止めることはできない。
一年で1200人殺すには、一日最低三人は殺さなければならない。一月一日から始まる事件は、十九人目が殺された時点で、まだ一週間も経っていないのだ。いくらなんでも広げすぎな風呂敷に、大掛かりすぎるスケールだろう。
『コズミック 流』読了後、秋山は『ジョーカー 清』を読み、それぞれの後編が刊行される一ヵ月後を待ち遠しく思い、5月に入ってから、『ジョーカー』の後編である『ジョーカー 涼』を読んでから、念願の『コズミック 水』に取り掛かった。
読者への挑戦状
予言する。読者であるあなたには、この時点で真相を看破することはできないだろう。推理とは、論理的な思考がすべてではない。よって、勘などに頼っていただいても結構である。『犯人・密室郷とは誰か――?』この難問に、あなたは答えることができるだろうか? ――健闘を祈る。
中略*2。
あれから五年。秋山は再び『コズミック』を手にとった。しかも今度は文庫版ではなく、ノベルス版である。第1回クロスレビューリレー:読書(id:yasano:20040120)に取り上げられていたからと言うのもあるが、*3後略。