雲上四季〜謎ときどきボドゲ〜

本と涙と謎解きと、愛しさと切なさとボードゲームと

『ネットのつきあいは、情報で返すのがいちばんなんだ。『僧正の積木唄』は、すばらしい作品だった。勧めた本が傑作だった、という感想は、何よりのおみやげだよ』
早見裕司『Mr.サイレント3 夢現世界の熱い予感』より)

 なかなか、心に届く言葉だと思う――、――――
――突然だが、小説の一節を抜き出して紹介することにそれほど意味はないと思っている。簡易な例を出せば、何作も続いてきたシリーズの最後の一行が、読者にもたらす感動なんて、それまでシリーズを追ってきた読者にしか味わえないものだと言うこと。コンテクストの中にあるテキストは、コンテクストの中にあるからこそ価値があるのであって、コンテクストの外に出してしまったテキストは、もはや以前のテキストではない。そこにあるのは説明を要しない観念的な散文か、感覚的に味わう詩歌か、物語性の排除された描写だろう。上に引用にしてみてもそうだ。この科白を喋ったのが誰か、どうしてこんなことを言うのか、なぜこんなことを言おうと思ったのか。本音と建前とは使い分けられるもので、時と場合とで同じ人間でも意見は変わるだろう。あるいは、ここに超短編的なものと、小説的なものを区別しているキーポイントがあるのかもしれない。自分の場合は……あー、どうでもいいな、殊更、どうでもいい。
 どうでもいい繋がりで思いだした、何故か今年になって日常生活で、セカイ系や萌えやら日常なんて言葉を使うようになった。覚えている限り、萌えなんて言葉、去年は二回しか口にしなかったのに、今年に入ってからは十五回も使っている。しかも、この前は月読先輩と日常・非日常・擬似的な非日常について議論してしまったよ。はあ、信じられんな。


 さて。
 昨夜は『Chronicle 2nd』に収録された「アーベルジュの戦い*1」と、二年ほど前まで公式サイトで公開されていた『Chronicle』の「アーベルジュの戦い*2」を交互に聴きながら作業。『回廊 創刊号』のサンプルを参加者にメールしたら、一斉に返事がきて、各種、訂正や編集にてんてこ舞い。まあ、まだ九日間の貯金があるので、自分の暇人っぷりは少しも揺らいでないわけですが。なんとなく、無謀なる参謀長とか呼ばれた高校時代が懐かしくさえある。
 超短編タイトル競作は半分ほど読んだところ。未だかつて自分の作品が、前半に入ったことはない。

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