雲上四季〜謎ときどきボドゲ〜

本と涙と謎解きと、愛しさと切なさとボードゲームと

水曜日に意図を張る蜘蛛の春の糸

■ルールを読んだままプレイ出来ていなかったカナイ製作所『ローレルクラウン』を遊んだりしました。ルールを読んだときは、競りゲーだと思いましたが、全体を通してみると競りの要素は低めで、どちらかと言うと、いつどの場面で全力を出すか、どこでかいくぐるか。みたいなゲームでした。しかも、ダイス運ひとつで勝負が転ぶ、ランダム性の高いゲームでした。バランスが、わりとざっくりなので完成版では、もう少し安定して面白くなるのかなと予想。
■さて、おもむろに本読み及び小説を読むことについて語ってみたいと思います。
■本読み、というフレーズは、秋山にとって特別な意味を持っています。具体的に人名を挙げると、桜庭一樹や葉山響は特に優れた本読みとして尊敬しています。
■結局のところ、本というのは、インクの染みが不規則に並ぶ紙の束でしかなく、そこから物語や世界を想起し、自らを感動させることが出来るのは人間の脳です。これを前提としたとき、小説における些細な点、枝葉末節に気を取られず、本質を見抜き、素晴らしい物語や世界を脳内に具現化もしくは抽象化できるひと。それが優れた本読みであるように思います。
■上の説明では分かりにくいと思います。なので、あまり好ましく思わない本読みの一例を紹介しましょう。たとえば「このトリックは○○という作品と完全に同一だ、駄作だ」なるほど、ミステリにおいてトリックが被ってしまうことは致命的です。しかし、その一点をして駄作と断ずるのはいかがなものでしょうか。先行作品とネタが重複していても素晴らしいミステリは世に山ほどあります。あるいは「時代劇やファンタジィにおいて、現代日本的な描写があるのは勉強不足で駄作だ」なるほど、世界観に則していない描写を見て、ふと我に戻ってしまうことは往々にしてよくあることです。しかし、中には敢えて、そういった描写を選んでいる作品もあるのではないでしょうか。例えば現代に生きる読者の分かりやすさを重視して、作中の地の文において「メートル」という表現を取る作品を、駄作だとは思いません。
■作品を発表することを「世に問う」と表現することがあります。小説とは価値観の塊です。小説を読むということは、小説家の、他人の価値観に触れることで、それは自分にとっては異質なものです。異質なものに触れる、他者の感性を作品から感じ取る。それこそが読書の悦びであり、本読みの誇りであるように思います
■最近は、めっきり本の感想を書かなくなってしまったので、あまり楽しい読書体験を皆さんと共有できていないような気がしますが……まあ、秋山のことは忘れて頂いて、どうぞ楽しい読書ライフを。

甲賀忍法帖 山田風太郎忍法帖(1) (講談社文庫)

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