上記エントリにて、秋山は以下のようなことを述べました。
仮にライトノベルがキャンバスに描かれたイラストだとしたら、中央に来るのはやはり剣と魔法や吸血鬼や学園だろう。そして、このイラストは今なお、様々な作家による描き足しが続いている。たとえばセカイ系が描きこまれたり、ツンデレが書き込まれたり。コストパフォーマンスの壁を破った西尾維新『刀語』や判型の壁を破った有川浩『図書館戦争』も、ジャンルとしてのライトノベルの幅を広げた作品である。
で、これに対し、id:USA3さんから以下のような反論がありました。
こうした現状を踏まえて、ハードカバーの本に「ライトノベルの枠を広げた」という名が冠されるのならば、既存の読者によるある程度明確な支持が確認できることが必要だと思います。『図書館戦争』がそれに当てはまる作品だとは、私には今のところ思えません。小説の内容自体はたしかに「ライトノベル的」ではありますが、それはまだまだ「価格」や「判型」の壁を越えるには至っておらず、読者層の中心はあくまで「(基本的にライトノベルを読まない)大人」と見るべきだと思います。
このエントリではこの反論を受けて『図書館戦争』が果たしてライトノベルと言えるのかどうか、またライトノベルの幅を広げた作品と言えるかどうかを検討してみたいと思います。なお西尾維新『刀語』に関してはスルーします……と言うと語弊がありますが、まだシリーズが終わっていませんし、『このライトノベルがすごい!』やライトノベルサイト杯など評価待ちという段階にあるからです。ただ、読者ハガキから読者の年齢層を見たとき、『刀語』の読者は『戯言』シリーズの読者より若いそうですとだけ言っておきます。
さて、USA3さんは『図書館戦争』がライトノベルではない理由を「版型が文庫ではない」として、それがどうして「ライトノベルではない」ことになるのかは「対象読者が違うから」と結論しています。この思考の根底には、新城カズマ『ライトノベル「超」入門』があります。この本によるとライトノベルは「時代ごとに周辺ジャンルやメディアの『いいところどり』をしてい」*1るとして、その手法こそがライトノベルの正体であり、その手法を用いた作品こそがライトノベル作品だと定義しています。この定義自体に秋山は反論しません。ことさら同調したり賛成することもしませんが、充分に説得力があると思いますし、納得できます。けれど、USA3さんの結論には同意できません。
どうして新城カズマ『ライトノベル「超」入門』を下地にしつつ、秋山とUSA3さんとで結論が食い違うのか。その理由は、両者の間で読者層が異なっているからではないかと思います。
イラストをつけて(少年)漫画に似た体裁にする。文庫サイズにして単価を下げる。これらはいずれも(かつては本の市場からほとんど注目されていなかった)特定の層に特化することを目的としています。そして実際――内容もそれに合わせたものが書かれてきた結果――ライトノベルは漫画を好んで読み、経済的にあまり豊かでない、つまりは中高生を中心に受け容れられてきました。
上記引用箇所を読むと、USA3さんは「対象読者が中高生であること」をライトノベルの条件として考えているようです。確かに、新城カズマも「ライトノベルの主要ターゲットは、すでにくりかえし述べてきたとおり、ほとんどすべてのレーベルで『中高生』です。もう少し上と定めているところも最近はあるようですが、結果的にその通りに分布しているかというと、あまりそうでもなさそうです」*2と述べています。けれど新城カズマはその一方で、
(前略)いわゆるジュブナイルやヤングアダルトは、
「大人が子供に向けて書いた小説」
で、それに対してライトノベルは、
「同世代感、同時代感、ライブ感を重要視した小説」
となります。
(新城カズマ『ライトノベル「超」入門』 - 200ページ)
と最後にまとめなおしています。
また「中高生」でない読者層もしっかりと意識しています。それは以下の箇所から読み取れます。
(前略)それはたとえて言えば、ひと昔ふた昔前のアニメ好きの若者や大人が感じていた、
「おれって高校生/大学生/会社員にもなって、まだ子供向けのアニメなんか観てていいのかなあ」
「いや、観てていいのだ! というかおれみたいな大人が観るに足るようなすごいアニメが今は存在するのだ!」
あるいは逆に、「くだらなくても、いや、くだらないからこそ、おれは好きで観ているんだ! そもそも、ずっと子供でいて何が悪い! いや、やっぱ悪いですかそうですか、すみません」
みたいな、とってもアンビバレントなあの感じ……と言えば、この本を読んでいるみなさんのうち四分の一くらいは頷いてくださるのではないでしょうか。
(新城カズマ『ライトノベル「超」入門』 - 38〜39ページ)
ここではアニメ好きの若者や大人と表現されていますが、どうしてこれのライトノベル版が存在しないのでしょうか? だって、高校3年生のときに神坂一『スレイヤーズ!』と出会い、それからずっとライトノベルを読んでいるひとなんて、いま36歳ですよ。「おれって36歳にもなって、まだライトノベルなんか読んでていいのかなあ。いや、読んでていいのだ! というかおれみたいな大人が読むに足るようなすごいライトノベルが今は存在するのだ!」と気炎を吐く36歳がいてもなんらふしぎでないように思います。
とは言え、やっぱり恥ずかしいですよね。
秋山ぐらいの歳でさえ、ここに挙げられているような表紙の本を、書店で買うのには抵抗があります。ましては36歳にもなればある種のプレイにさえなりえるでしょう。では『図書館戦争』はどうでしょうか?
- 作者: 有川浩
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つまり、何が言いたいかと言うと『図書館戦争』は従来とは異なる年齢層を対象として、その結果通りに分布した作品だというのが秋山の結論です。ライトノベルの手法でハードカバーを作ってみたと換言することも可能です。また、繰り返しになりますが、秋山はこの本がライトノベルの幅を広げたと考えています。その理由は新しい客層を開拓したからです。
ところでUSA3さんは『図書館戦争』の読者層に関して「読者層の中心はあくまで『(基本的にライトノベルを読まない)大人』と見るべきだと思います」と述べているのですが、ここが今ひとつ分かりません。その直前に「小説の内容自体はたしかに『ライトノベル的』ではあります」と述べているので、読者は『図書館戦争』の「ライトノベル的」な面が気に入ったと考えているようなのですが、そうしたくないのか、まるで正反対の結論が出されているのです。順当に考えていくと、『図書館戦争』は高年齢のライトノベル読みおよび潜在的なライトノベル読みの支持を受けたという結論が出るべき箇所にも関わらず。
話を戻して、新しい客層とは何なのか? 秋山はそれがすなわち高年齢のライトノベル読みと潜在的なライトノベル読みだと考えています。もう少し、違う表現をするとライトノベル的ストーリィやキャラクタを受容する感性を持ちながら、アニメ絵の表紙を敬遠していた読者になります。確かにこの読者層はUSA3さんが言うところの「(基本的にライトノベルを読まない)大人」かもしれませんが、どうして昨日までライトノベルを読んでなかったけれど『図書館戦争』を読んでライトノベルに目覚めた読者を否定できるのでしょうか? また、ハードカバーで出すことは確かに「すでに市場がある程度確立された世界」に「進出していくことは、単に既存の作品や市場におもねっているだけ」かもしれませんが、だとしたらどうして『図書館戦争』シリーズ以外のハードカバーは売れていないのでしょうか? ううん、何度か読み返してみましたが、やはりこのあたりは上手く理解できません。難しいです。
それはそうと、このエントリを書くために新城カズマ『ライトノベル「超」入門』を読んだのですが、予想外に面白かったです。特にライトノベルという言葉を考案したひとのくだりなどは興味深く読むことができました。巻末の年表も便利ですね。
- 作者: 新城カズマ
- 出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ
- 発売日: 2006/04/15
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