id:natume_yoさんと往復書簡をすることにしました。
ここ最近、波紋*1を中心に、夏目さんは興味深い発言を繰り返しており。その様子を傍から見ていて、夏目さんとコミュニケーションを取ることで、文学に対する理解が深められるのではないかと思い、往復書簡を誘ってみました。往復書簡とは言え、はてな上で行うので、実際にはトラバの送りあい、という認識が正しいでしょうし、横槍が入ったり、乱戦になったりするのも面白いかもと漠然と考えています。まあ、自由に楽しんでください。
夏目さんの発言まとめ
- 「文学」について、というところから始めたい。
- 文芸誌における幾つかの興味深い試み。
- 純文学の領域に他分野にひとが移ってきている。
- 相次ぐ文芸誌の創刊。
- 「文学」は「小説」よりも上位にある。
- なぜ「文学」のために「小説」を選択するのか?
- 「小説」とは何か?
- 「小説」における表現の利点は?
- 「小説」における「文体」とは?
文学というレイヤーと小説というレイヤー
秋山の中で文学や小説といった概念は、割合、下の図のような立ち位置に置かれることが多いです。
芸術という極めて大きな概念があり、文学や音楽などはその内側に含まれ、小説や演奏などは、さらにその内側に含まれる、といった具合です。とは言え、いついかなる場合も、この図が適用されるわけではなく、たとえば歌詞などは文学と音楽の領域を跨ぎますし、演劇も視覚に訴える美術と聴覚に訴える音楽の双方の要素を併せ持つように思います。それに、文学における小説を小説以外の形態で、つまり音楽や美術で表現するといった事態も想定されます。従って、必ずしも芸術というレイヤーが最下層にあり、その上層に文学が、そのさらに上層が小説があるとは限りません。時には、小説が文学や芸術といった親を含むこともあるでしょう。
文学の進出、他分野からの流入、文芸誌の創刊
あまり、ピンと来ませんでした。
朗読や文学と芸術の融合などは昔から行われていたことで、格別、珍しいことではありません。さすがに文芸誌にCDがおまけされたのは、史上初かもしれませんが。
他分野の人間が、文芸誌で評価されるのも今に始まったことではありません*2。また「元○○という人」が「文芸誌のフィールドで活躍」することが、どうして「『文学』というものは演劇にも音楽にも、あるいは美術にも宿っている」に繋がってくるのか分かりません。
文芸誌の創刊についても同じくです。リンク先を見てみましたが、そもそも文芸誌ではなく中間小説誌もしくは大衆文芸誌ですし、定期的に刊行されていないものもありますし。年に数種類の雑誌が短期間のうちに創刊されることは、けして珍しいことではありません。
夏目さんの「何も『文学』をやるのにその手段が『小説』である必要はない」という結論には賛同できますが、その結論に至るまでの論理は、よく分かりませんでした。
小説とは何か
小説とは何か。いちばんしっくり来ると思われる、分かりやすい言葉は、媒体、でしょうか。現実には存在しない、目に見えず、触れることもできない文学を、見たり触れたりできるようにさせてくれるもの。それが小説。秋山はそう考えています。
ちなみに、これは演奏や油絵などにも同様のことが言えます。媒体に過ぎません。
最後に
とりあえず初回はこれぐらいで。
最後にひとつ要望を。鉤括弧を、引用や異義語の区別化以外の用途で使うのはやめていただけると助かります。よろしくお願いします。