今日の話に中身はありません。
エスカレーターを降りた瞬間に立ち止まるひと
何故、立ち止まるのか……!
エスカレーターは自動的な乗り物であるが故に、後ろから次から次へとひとがやってくるのは自明なわけです。スムーズに移動し、空間を作らないと大惨事になることは想像に難くありません。
にも関わらず。
何故!
立ち止まるのか!!
……思わず、ムッとしてしまいますが、こんな些細なことに怒りを覚えていては生きていけません。そっと脇に逸れて移動します。
キャリーを持ったまま立ち止まるひと
駅の構内、縦横無尽に人々が歩き回る混雑のなかで、立ち止まれば明らかに迷惑でしょう。
その場に至るまで歩いてきたわけなので、いかに混み合っているかは身をもって知っているはずです。
百歩譲って立ち止まることは良しとしましょう。駅によっては構造が複雑で、自分が向かうべきホーム、乗るべき電車が分からず、困惑する気持ちは察せます。
せめて脇に寄ってもらえればと思わないでもないですが、急いでいればいるほど、普段はちゃんとできるひとでも、それができないことは、ままあることなので分かります。
でも、キャリーを斜めに持った状態でまでそれをやりますかね。
ざっと3人分くらいのスペースを占有するのはいかがなものか。思わずすれ違いざま、キャリーをちょっと蹴っ飛ばすくらいはしたくなりますが、そんなことはしません。ムッとしますけどね。
エレベーターの脇に立っているのに開ボタンを押さないひと
自動ドアが閉まりかけて、出入りしようとしているひとが扉にぶつかったりしますよね。
スマホは見ててもいいですけれど、もう片方の手で開ボタンを押してあげましょうよ。それが出来ないんだったら、奥に行ってくださいよ。大人なら、まだ迫りくる扉を手で抑えられますが、子どもは危ないですよ。
とは言え、開ボタンを押しているつもりが、うっかり間違えて閉ボタンを押してしまうことは、ままあることなので、基本的には出入りするひとが気をつけた方が安心でしょう。
電車のドア付近で降りまいと踏ん張るひと
これは長らく、納得が行きませんでしたが、何年か前にTwitterでぶつくさ言ったら、ドア付近を陣取っておかないと、降りるべき駅に着いたときに人混みに邪魔され降りることができないのでそうせざるをえないという意見を聞いて、納得しました。
ひとにはひとの考え方、想像力があるということ
冷静に考えて、そんなことをしたら周囲のひとに迷惑だろうと思いますが、そのひとには、そのひとりなりの考え方がありますし、自分がそういう行動を取ったら、他のひとにどういう影響があるのかを考えられない、つまりひとの想像力には限りがあるので、言っても仕方がないであろう、が最近の結論です。
むしろ、そうと分かっているのに、それでもムッとしてしまう自分自身を抑えられない、自らの器の小ささに怒りを覚えるくらいです。一体、どうすれば良いんでしょうね。
終わりに
冒頭に記した通り、中身のない話ですみません。
オチではありませんが、この通り、図々しく文句を並べたてた秋山も、またどこかで誰かには迷惑を掛けているでしょうから、ひとのふり見て我がふり直せ、他山の石以て玉を攻むべし、みずからを戒めて生きていこうと気持ちを新たにする次第です。
なるべくね、平穏な人生を歩むためにもですね。