雲上四季〜謎ときどきボドゲ〜

本と涙と謎解きと、愛しさと切なさとボードゲームと

木曜日と万死界より帰還した万天使の邂逅

■一昨日くらいに見た「魔法にシステムは必要か」について、なんだか、じわじわと語りたい気分に蝕まれてきたので、ちょっとだけ言葉を費やしてみようかと思います。

しかしここ最近、ある異変が起きているようです。それは、読者がストーリーのおもしろさや登場人物の描写よりも、魔法の「システム」がきちんと作られているかどうかで批評するようになったこと。

http://www.kotaku.jp/2012/06/why_does_magic_have_to_make_sense.html

■振り返ってみれば、秋山にとっての魔法とは、ファンタジー小説における魔法ではなく、ドラクエやFFにおける、じゅもんであり、まほうでした。
RPGにおける魔法は、たとえば白魔法や黒魔法といった具合にカテゴライズされていたり、MPやレベルに応じて使用できたりできなかったりして、果てはメラに対してメラゾーマ、ファイアに対してファイガといったように強力なバージョンが存在したりしていました。
■現在、秋山は、確かに魔法に対してシステムを要求しているように思います。でも、それは上記にあるような、ゲーム的なシステムではありません。どちらかと言うと、因果関係に近いですね。たとえば呪文を唱えることによって、空を飛ぶことができる魔法があったとして「何故、飛べるのか?」という問いに対して強く答えを欲します。これに対し、たとえば「呪文の内容は、風の妖精に力を借りるもので、自分の周囲に風を巻き起こし、飛ぶことができる」といった説明が与えられると安心感が得られます。
■もう少し突っ込んだ例を出すと神坂一スレイヤーズ!』における、黒魔法は、当時は非常に斬新かつ、心地良い納得感を得られるものでしたね。あの小説において、黒魔法というのは、上記の例と同様に、魔王の力を借りて攻撃するものでしたが、肝心の魔王と戦うときには、その黒魔法はいっさい使えなくなるのです。まあ、考えてみれば道理。お前を倒すのに、お前の力を貸してくれと言われて、力を貸すわけがないですよね。
■後は、まあ、秋山が個人的に、先天的な才能を信じていない……と言うか、信じたくないのも、一因かもしれませんね。虚淵玄Fate/Zeroにおいて、ウェイバー・ベルベットが努力は家柄を凌駕すると主張し、時系列的に後の作品で、その主張を実践、証明しますが、まあ、そういうのの方が好きです。なので、いちぶの大魔法使いが、なんかの偶然で大魔法を成功させるより、粛々と経験値を蓄積して、最後にようやく大魔法に成功する話の方が好きですし、その方が自然であるように感じますね。
■あ、ちなみに『Fate/Zero』は、ニコニコ動画で観ているので、まだ最終回一歩手前です。

Fate/Zero(1) 第四次聖杯戦争秘話 (星海社文庫)

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