本という本を読み尽くす気でいました。
ですが、大学を卒業して、社会人になって、相対的に読書に割ける時間が減ったところで、ようやく、どうやら人生は有限で、一生の間に読むことができる本の数は決まっているらしいことに気づきました。
森博嗣が好きです。
『すべてがFになる』のトリックは、さすがに覚えていますが、それ以外の作品のトリックは、ある程度、忘れてしまったので新鮮な気持ちで読めるように思います。『ジグβは神ですか』において、ある人物とある人物は同一人物であったことが明かされたので、一気に再読することで、また新しい発見があるかもしれません。『スカイクロラ』も、もう一度、時系列順に読みたいものです。
川上稔が好きです。
『終わりのクロニクル』と『境界線上のホライゾン』は最近の作品なので、それなりに覚えていますが、《都市》シリーズは、けっこう忘れてしまいました。『OSAKA』がいちばん好きですが、いま再読したら違うかもしれません。時系列的には先に来る『終わりのクロニクル』が既読であるが故に《都市》も、また違った面白味があるでしょう。
読み終えた本は基本的に手放してしまう秋山ですが、森博嗣と川上稔は「いずれ再読しよう」と決めているので処分していません。同様に上遠野浩平も再読したいなあという気持ちがあります。京極夏彦、伊坂幸太郎、西尾維新、栗本薫も同様です。特に、シリーズ同士、微妙に繋がりがあったりすると、一気呵成に読み直したい気分が刺激されますね。
そんな再読計画を、今まで夢想していたのですが、先日、気が付きました。
一生の間に読むことできる本の数は決まっていて、再読だからと言って、即座に読み終えられるわけではない。むしろ、森博嗣の全作を読み返そうものなら、数ヶ月が費やされるのは間違いありません。そこに川上稔と上遠野浩平が加わったら、あるいは一年以上になるかもしれません。
果たして、いつから再読をするべきなのか……。
最近は、そんなことを考えています。