たまには雑談でも少々。
こんにちは、秋山です。
秋山の父親は、わりと転勤の多い会社員でした。
生まれは綾瀬ですが、すぐにミネソタに引っ越して、物心がつく頃はカリフォルニアにいて、思春期は町田で過ごしました。
卒業し、独り立ちしてからは品川と蒲田を行き来して、少し前は転勤で名古屋にいたり。今は、また品川にいたりして、ひとつのところに10年以上いた試しがありません。
「小学校の頃の同級生と、同窓会があった」
みたいな話を聞くと「そんなことありうるのか!」と驚きがあって、次いで「いいなあ!」と思ったりします。
以前は、どこそこ出身ですと言えないことに、表現できない感情を抱いていましたが、最近は、もう、そんなことを考えることもなく、他人は他人、自分は自分、みたいな感じです。
そんな、ふらふらとした生き方をしているからでしょうか。
ボードゲームや謎解きのために新幹線に乗ったり、飛行機に乗ったりすると、行った先で、
「えっ、東京から来たんですか?」
とか、
「遠征ですか?」
と驚かれるのですが、それ自体に違和感を覚えたりします。
だって、札幌も福岡も、ドア・ツー・ドアで2時間かからないんですよ?
今、たまたま東京に住んでいるわけで、来年には、どこに住んでいたっておかしくないわけで。遠征なんて大げさなものではなく、日本国内ならば、どこだって、ちょっとそこまで、の範疇かなあ、と。
それだけ世界が縮んでしまったのでしょうか。
秋山の小説を読んだことのある方は、ご存知かもしれませんが、ループ物という概念に偏執的な情熱を注いでいます。書いてきた小説の半分くらいは、ループ物と言っても過言ではないでしょう。
どうしてでしょうかね、普段は意識もしませんが、心のタスクトレイには、
「あの時、ああしていれば、どうなっただろうか?」
を計算するアプリケーションが常駐している気分です。
まっとうな職につかず、小説を書くことに全力を注いでいれば、小説家になれていたのでしょうか。
まあ、まだなれてないと決まったわけではないですけどね。
30代、40代を過ぎてデビューする小説家も多いですし、秋山だって、まだまだワンチャンもツーチャンもありますよ。別にデビューできなくなって、浜辺のしなびた旅館で、文士を気取って、ワープロを叩くのは、いつだってできますしね。
話がどんどん変わって恐縮ですが。
少し前に、西尾維新の展示会「西尾維新大辞展」に行ってきたんですよ。
そこで「西尾維新の”一日の過ごし方”を公開」と言うことで、よくある円グラフで、1日何時間寝て、何時間執筆してる、みたいのが展示されていたんですけれど、西尾維新って、めちゃくちゃ旅行するひとなんですね。
会社にも、小遣いはすべて旅行に費やして、人生で何十カ国を訪ねたことがある、というひとがいるんですけれど、そういうのも良いですね。
こういう事例に触れると、自分なんて、まだまだ引きこもりの域を出ない、そう感じます。
なんか、まとまりのない感じになってしまいましたが、皆、もっと気軽に出掛ければ良いのではないでしょうか。
今日のところは、そんな感じで。