そして、理解できるものだけを理解する。
こんにちは、秋山です。
あんなに信じていて、好ましいと思っていたハイドロ銀チタンが、急に疑わしく、汚らわしいもののように思えて、人間の感情というものは、こうもたやすく変化するのだなと思った次第です。
詳しくは、さっきの記事を読んでいただければと思います。
少し前に西林克彦『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』を読みました。
帯にあった、「わからない」ことよりも、
「わかったつもり」でいる
ことの方がはるかに問題だ!
というキャッチフレーズに惹かれて読んだのですが、身につまされる内容でした。
実際に例題みたいな感じで、次の文章を読んでから問題に答えてください。なんていう、国語の問題みたいのがあったのですが、まあ、解けないこと解けないこと。自分の読解力のなさに呆れるくらいでした。
駄目ですね。
読み飛ばす癖をつけては。
無知の知
とは、ソクラテス哲学の根底にある大事な考え方で、学校で習ったことのなかで、特に有用に感じられ、今でもときどき思い出します。
自分が無知であることを知らなければ、知識を探求することもできないよね、的な考え方です。
あれですかね。
オレオレ詐欺に引っかかってしまった方や、ビットコインが200万円を突破した頃に仮想通貨を始めた方も、やっぱり、こんな気分になったのですかね。最近は、こういうの巻き込まれることがなかったので、ちょっと久々で自分自信の感情を持て余します。
なんと言えばよいのですかね。
思考が散り散りになって、まとまってひとつの方向に行かない感じ?
混乱半分、戸惑い半分、みたいな?
まあ、こういうときは、コーヒーでも飲んで落ち着くしかないですね。
生きていれば、こういうこともありますよね。