雲上四季〜謎ときどきボドゲ〜

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映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の感想(ネタバレあり)

 新房昭之監督、大根仁脚本によるアニメ映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』を観ました。
 なんだか全体的に釈然としなかったのですが、言葉にできない曖昧模糊とした感情を抱いたまま感想を書くことにします。あんまり褒めてないので、お好きな方は目に毒かもしれません。

鑑賞前の予備知識

 小説の表紙を、書店で見たことがある、という記憶がありました。
 従って、小説を原作としたアニメ映画である。と、勘違いしていました。
 観た後に調べましたが、元々は1993年にフジテレビで放送されたテレビドラマであり、それを再構成した映画(1995年)だそうですね
 テレビドラマに関しては『世にも奇妙な物語』の後番組として始まった『if もしも』というシリーズの一作で、他に放送されたのは「結婚するなら金持ちの女かなじみの女か」や「彼女がすわるのは左のイスか右のイスか」など、決断を迫られる系だった様子です。

杜撰かつ期待の持てない展開

 自分でも驚いたのですが、及川なずなが、松田聖子の『瑠璃色の地球』を歌い始めたあたりで、もう心の底から「なんだこれ」と唖然として、同時に「これ以上、観る必要はないのでは?」と思ってしまったのでした。
 なかなか、ないことです。
 アメコミのヒーロー物で、バトルシーンが長いと「冗長だなあ、早く終わらないかなあ」と思ったりしますし、退屈なシーンが続くと「後、何分あるんだろう?」と時間を確認してしまうことは、ときどきありますが、観るのを止めることを考えるレベルではありません。
 なんでしょう。この先の展開にまったく期待が持てないと言うか、根底の思想に対して辟易みたいな感じが極まったのがあのシーンでした。
 誤解のないよう言っておくと、別に松田聖子は嫌いではありません。
 失敗に終わることが分かっている逃避行の最中で、水商売とアイドルを同格に語り、自分とシンデレラを重ね合わせる及川なずなに対して、ものすごく落胆したのです
 観始めた当初に帯びていたミステリアスな美人のオーラが、あの瞬間、完全に霧散しました。

花火は象徴であり、象徴でしかなかった

 あらゆるループ物やタイムトラベル物を愛してやまない秋山ではありますが、この作品は、自分が好きなパターンではありませんでした。
 都合が良すぎるのです。
 島田典道が願う。ただ、それだけで彼は水泳で祐介に勝ち、電車の行く先は変わるのです。
 厳格なループ物において、登場人物が何度ループしようが、世界は同じように繰り返されます。ループを認識していない登場人物は、同じように動き、同じ台詞を口にするものです。けれど、この作品では典道が願うことで、未来は自在に変化します。
 どちらかと言うと、パラレルワールド物に近いかもしれません。花火が丸い世界から楕円形の世界へ、楕円形の世界から花柄の世界へ、典道は同じ時間軸を繰り返していると言うより、自分にとって都合のよい世界へ漂流しているに過ぎません
 様々な難題を、知恵と体力とで解決するのではなく、ただ願うことで改変していく。典道に感じることができたのは、その頑張りに対する称賛や共感ではなく、自分勝手に世界を変えたって根本的な解決にはならないぞ? むしろ、いつかきついしっぺ返しが来るぞ! という乾いた感情でした。

シャフトであったことによる弊害

 これは想像でしかないですが、もっと朴訥とした絵柄の作品であれば、すんなりと受け入れられたかもしれません。
 制作が、シャフトだったからこそ。
 及川なずなのデザインが、戦場ヶ原ひたぎを連想させるものだったからこそ。
 余計に、忌避感を覚えたのかもしれません。

エンディングにおいて不在の典道に関する考察

 主人公の典道が不在というエンディングは、一抹の不安を残したものでした。
『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』に出てくる宝玉を思わせる、あのビー玉的物体、通称もしも玉を使いすぎたことによって、彼は消えてしまったのでしょうか。
 もしも玉に関しては、作中に興味深いシーンが描かれていました。なずなの父親が持っていたのです。
 もしかしたら、なずなの父も、生前に、もしも玉を使っていたのでしょうか。
 彼もまた、なずなの母親と出会い、結ばれるためにもしも玉を多用し、最後には「これ以上、もしも玉を投げない」という選択をして、命を落としたのかもしれません。
 この映画において、もしも玉は、不幸なすれ違いによって失われますが、もし花火師が勝手に打ち上げて破壊したりしなければ、典道は何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も、繰り返しもしも玉を投げて、ありえたかもしれない未来が探しつづけ、最後の世界において「これ以上、もしも玉を投げない」という選択をして、その世界に落ち着くことにした、かもしれません

終わりに

 書いていて気が付きましたけれど、自分が好きなタイプの展開ではなかった、結局は、これに尽きるような気がします
 典道にもっと男気があって、家出したいなずなのことを真剣に考え、彼女の家族とコミュニケーションして、より良い未来を模索するために、もしも玉を使い、最後には笑顔で花火を観る映画だった大絶賛だったかもしれません。


ぺこらさんは、どうでした?

最終的に、なずながいなくなった世界になったんじゃないの? なずなは、お父さんのもしも玉で願われた存在だったけれど、その存在が否定されたから消えたでしょ

……え!? その発想は、まったくなかった

最後の学校のシーンを、2学期と見るか、登校日と見るかで変わってくると思う。2学期なら転校済みだけど、登校日の場合は、なずなという存在がそもそもいない世界線になっている可能性がある。最後、ぺんぺん草が写ったじゃない。なずなは植物になったんだよ。元々の世界は、なずなのお父さんがお母さんと駆け落ちしたくて願った世界だったから、もしも玉が壊れた瞬間に、お父さんの願いも消えて、ふたりが駆け落ちしなかった世界に戻ったんだよ……という解釈をして、ぺこらは納得して、落ち着いたよ

その解釈は、かなり共感できるね。もし、そこまで描かれていれば、かなりしっくり来るし、余裕をもって迎え入れられたと思う

結局、明言はされていないから、どう捉えられても良いように作られているよね。正解は、ないんだよ