いや、ならない(反語)。
こんにちは、秋山です
と言うわけで、今日は益体もないことを徒然なるままに綴ろうと思います。
時間について、です。
言うまでもないことですが、時間は誰にとっても平等です。生まれてから死ぬまで、ひとりの人間が経由することになる時間は、同値です。
しかし、同値だからと言って同価値とは限りません。楽しい時間ほど早く過ぎ去り、退屈な時間ほど持て余すと言いますが、同じ長さの時間であったとしても、その間に体験した質によって、時間はその重みを変えることになります。
昔、ある方が「俺は、太く短く生きるよ」とおっしゃられ、そのときは格好いいと思いましたが、今はそうは思いません。今は「少しでも太く、少しでも長く生きた方がいい」そう思っています。
だいたい、ひとりの人間が生きるには膨大なコストが求められます。コストを払って生きるならば、相応の見返りがあってしかるべきです。
時間あたりの楽しさは、最大化するに越したことがなく、なんならそのためにコストを払っていると言っても過言ではありません。平たく言うと、遊ぶために働くのです。
そろそろ目的地に着きます。
以上、今日は仕事が忙しくてブログを更新する暇がなかった言い訳でした。