皆さん、こんにちは。秋山真琴です。
ミスボドゲームズの新作『終わりから始まるクロニクル』を紹介させてください。
2~4人用の、10~20分で遊べる協力ゲームです。
『終わりから始まるクロニクル』とは
『終わりから始まるクロニクル』は、ストーリーテリングゲームという新しいジャンルのゲームです。
読んで字のごとく、物語を語ることに主眼を置いたゲームです。プレイヤーは物語の紡ぎ手という存在となり、他のプレイヤーと協力し、ひとつの物語を創作します。勝利条件はなく、プレイ中の過程を楽しみ、プレイヤー同士の友好を深めていただくことが目的です。
全10種のシナリオが含まれており、プレイ開始前にどのシナリオで遊ぶか選んでいただくのですが、特徴的な要素として結末が決まっていること、が挙げられます。確定した結末に向けて物語を紡ぐ、だから『終わりから始まるクロニクル』というタイトルです。
コンセプトとターゲット
上にも書きましたが、コンセプトは、プレイヤー同士の友好を深めていただくことです。
ターゲットは、勝ち負けではなくゲームを遊んでいる時間、それ自体を大事にしたい方です。
もっと深堀りすると、恋人とふたりで喧嘩することなく仲良くお家デートをしたい方や、物語要素のつよいシナリオが好きな仲間と同じ時間を楽しみたい方にうってつけです。
遊んでいるときの雰囲気については、ぺこらさんの紹介が分かりやすいので、より詳しく知りたい方は、こちらをご覧ください。
遊んでくださった方の感想
テストプレイ時となりますが、遊んでくださった方の感想をTogetterでまとめています。
『終わりから始まるクロニクル』はゲーム終了時に、一編の物語が完成するのですが、遊んでくださった方には、完成した物語をいい感じな画像にしてお渡ししています。その画像を掲載されていらっしゃる方もいるので、見ていただければ「こういう物語が出来上がるんだー」とイメージが湧くかと思います。
デザイナーズノート、的な
紹介は以上です。
ここから先は延々と「こんなことを考えながら作った」という話ですので、興味のある方だけ読んでいただければと。
直接的の発端は『ダイアレクト』を遊んだことです。
感想も書きましたけれどナラティブ要素の強いTRPGです。
『ダイアレクト』は非常に面白かったのですが、今日現在、2回目を遊んではいません。理由はおおきく3つでしょうか。ひとつはプレイ時間が長いことです。オンラインだったことに加えて、初回プレイだったので都度ルールを確認しながらのプレイングということもあるかもしれませんが、6時間かかりました。慣れればもっとスピーディに遊べそうですが、それでも2~3時間は掛かることでしょう。それだけの時間があったら、積んでいる未プレイのゲームを遊びたいところです。
ふたつ目は精神的な負荷が強いことです。上の感想にも書きましたが、心に深く刺さりすぎてしまうんですよね。だからMPが少ないときは受け止めきることができず、おざなりなプレイングになってしまいます。遊ぶなら遊ぶで万全を期したいところです。
そして最後のみっつ目は共有が難しいことです。せっかく素晴らしい言語を創り出し、大きな世界観に育て上げても、最後には必ず滅びてしまい、一緒に遊んだメンバーとしか共有できず、しかも記憶が薄れてしまうと跡形もなく消え去ってしまう。そんなの、ちょっと寂しいじゃないですか。
「共有しにくい」は『光より遅く』に対しても感じています。
『光より遅く』は大好きなゲームですが、遊ぶたびに「なんとかリプレイを残せないものか」と思案します。この雲上ブログでも、以前に2回ほどリプレイを掲載しましたが、未だにしっくり来ていません。
と言うのも『光より遅く』は、全貌が見えにくい、非常に限定的なゲームだからです。
5人プレイの場合、ゲーム中に交わされる手紙は計60通ですが、そのうち内容が分かるのは自分が書いた12通と、自分の元に届いた10~15通程度で、半分以上の手紙は目にすることなくゲームが終了するのです。
リプレイと称して、全60通を掲載したとしても、現実にその60通を俯瞰できているプレイヤーは存在しないため、なんだかチグハグになってしまうのです。
3月6日、土曜日。
ぺこらさんとふたりで北品川周辺を散歩している最中に放った一言、
10分で終わる『ダイアレクト』と『光より遅く』みたいなゲームを作りたいんだよね
これが『終わりから始まるクロニクル』誕生のキッカケでした。3月9日には、だいたい仕上がったのでテストプレイに協力してくださる方を募集し、3月22日までに13名の方にテストプレイいただき、3月24日に入稿しました。入稿の前々日に、まどりやの鷹海さんが「ゲームマーケットで委託販売を請け負いましょうか」と申し出てくださったので助かりましたが、この幸運に恵まれなかったら、販売する当てのないゲームを作ってしまうところでした。
ところで『終わりから始まるクロニクル』を「ゲーム」と呼ぶことについて、若干の迷いがあったことは否定しません。
雲上ブログでは、まだお知らせしていませんでしたが3月から『アナログゲームマガジン』というのをnoteで始めていて、その活動の一環で最近はずっとゲームについて考えています。調べてみるとウィトゲンシュタイン、カイヨワなどの哲学者や社会学者がゲームについて定義しており、以後さまざまな学者や研究者がゲームの定義を深めています。日本的な感性で言えば、ゲーム研究家の草場純さんが「確実なルールがある、勝ち負けを争う遊び」とゲームを定義しており、このように考えているひとは多いことでしょう。
この定義に基づくと、勝利条件はなく、プレイヤー同士の友好を深めていただくことを目的とした『終わりから始まるクロニクル』はゲームではないことになります。
しかし、たとえばTRPGの長い歴史の果て、伸ばされたひとつの枝の先に『ダイアレクト』があることを考えると、またここではタイトルを挙げませんが、ゲームとゲームではないものの境界線上に立つ作品群を考えると、ゲームの新しい形のひとつとして『終わりから始まるクロニクル』を置いても良いのでは? そう考えました。
この発想は、私がジャンル小説読みであることに起因するかもしれません。
今までに数多くの「これはSFではない」や「これはミステリではない」を目にしてきました。私は原理主義者ではなく、広義のSF、広義のミステリを好んで読んでいますが、それでもときおり「これは違うのではないか」と口を滑らせてしまい、その度に己の狭量さを恥じています。
閑話休題。
ゲームらしいゲームにしようと思えば可能ではありました、と言い訳させてください。たとえば「出来上がった物語を見て、もっとも貢献したプレイヤーを同時に指差し、もっとも票を獲得したプレイヤーが勝者です」みたいなルールを加えようと思えばできました。でも、しませんでした。もちろん理由はひとつ、このルールは、プレイヤー同士、仲良くなっていただくというコンセプトに反するからです。
ただ、勝算はありました。たとえば『テレストレーション』にせよ『たった今考えたプロポーズの言葉を君に捧ぐよ』です。これらのコミュニケーション系のボードゲームには、きちんと点数の概念が存在、勝者を決めるルールが定められていますが、いったいどれだけのプレイヤーがこのルールを遵守しているのでしょうか。私の感覚では、これらのゲームは「ただ、楽しむため」に遊ばれ、勝敗は求められないケースが多いです。これらのゲームが受け入れられているのを見ると『終わりから始まるクロニクル』も、きっと受け入れられる。そう信じています。
狭義のゲームからは外れるものをゲームとすることの他、もうひとつ『終わりから始まるクロニクル』では挑戦をしています。
それは対象年齢を定めていないことです。
これはある種の偶然なのですが、ルールブックを書いているときに対象年齢を10歳にしようか12歳にしようか悩んだのです。『終わりから始まるクロニクル』は言葉が分かる年齢であれば誰でも遊ぶことができますが、物事を即興で考えて、ひとつの連続した物語の形に仕上げる、という行動は複雑なものです。なんなら12歳でも難しいかもしれませんし、12歳でできないひとは20歳になっても30歳になってもできないような気もします。
そこまで考えて「そもそも対象年齢は、なぜ存在するのか?」という疑問が芽生えました。
多くの方の意見を伺った結果、ただの慣習に過ぎない、が現在の結論です。
そして、この結論を元に『終わりから始まるクロニクル』では対象年齢を定めないことにしました。
物語を愛する心、物語を紡ぐ楽しさを知る心、他人と触れ合いたい心を持っている方なら何歳でも楽しんでいただける。そう信じています。
長くなってきたのでいい加減、終わらせましょう。
最後に、もうひとつだけ。
『ダイアレクト』や『光より遅く』の難点として、共有しにくいことを挙げました。
『終わりから始まるクロニクル』はゲーム終了時、出来上がった物語が共有できる成果物としてしぜんと完成します。言うなればTRPGのリプレイが自動的にできあがるイメージです。少しでも多くの方に遊んでいただき、Twitter等で完成した物語を発信していただきたいなと思います。その風景が見られることを、今からとても楽しみにしています。
終わりに
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。
まだ、この世界に存在しないもの、類例がないものを作るのが好きです。秋山真琴が存在しなければ、この世界に生まれなかったであろうものを生みだすのが好きです。それ故に、説明しにくい紹介しにくいゲームではあるのですが、多くの方に楽しんでいただければ幸いです。
では、次の作品でまた、お会いしましょう。