社会現象を巻き起こしたと言っていいほど人気の高い漫画、吾峠呼世晴による『鬼滅の刃』を、今更ながらに読みました。全巻一気読みです。
熱の入ったファンではありませんが、フラットに感想を書ければと思います。最終巻までのネタバレありなので、未読の方はご注意ください。
絵が上手い
漫画を読みはじめて、最初に感じたのは、とにかく絵が上手いということです。
いきなり他作品との比較で恐縮ですが『進撃の巨人』を最初に読んだときは、その独自の画風に面食らいました。
迫力と勢いは感じられましたが、その要素に振り切られており「漫画としては良いけれど、絵としてはちょっと……」と感じました。
『鬼滅の刃』も『進撃の巨人』と同様に、アニメの評価が非常に高く、アニメ放送後にブレイクした新人漫画家の作品だったので、正直、絵には期待していなかったのです。
が……、
これは少女漫画! それとも、浮世絵の影響……?
少女漫画風で、少年漫画らしからぬ繊細なタッチだと感じました。
また、全体的に浮世絵風のイラストと感じていたのですが、1巻の162ページ、はじめて水の呼吸を用いて技を放つシーンは思わず「北斎!?」と呟いてしまいました。
後は5巻の94ページ。
下弦の伍である累との対決シーンにおいて、禰豆子が全身を蜘蛛の糸で緊縛され、逆さ吊りにされるという、少年漫画にしては過激なシーンですが、背景にクレーターが精緻に描き込まれた月が描かれているんですよね。額に入れて飾っておきたいと感じました。
好みの分かれる画風でしょうし、私自身、絵の巧拙は分かりませんが、個人の感覚としては上手いなと感じました。
いちばん一般人に見えて、いちばん異常
アニメ版を見たときも炭治郎の性格には、すこし首を傾げる場面がありましたが、漫画を読み通して、違和感は確信に変わりました。
主人公の炭治郎は、読み手が感情移入できる存在として、一般人代表として常識人として描かれてはいますが、その精神の奥底は、真っ直ぐ過ぎるというか、邪念がなさすぎて澄みきりすぎているように感じました。
7巻98ページ「無限列車編」で炭治郎の無意識領域が描かれる場面がありますが、どうみてもウユニ塩湖です。
果たして、一般的な人間の無意識領域がウユニ塩湖でありますでしょうか? いえ、もっと、ゴチャゴチャドロドロしているはずですよね。
シリーズ1巻の『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』を読んだときは、語り部のいーちゃんが、いちばん常識人であるかのように読めますが、2巻の『クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識』を読むと、いーちゃんがいちばん非常識であることが分かります。
炭治郎をどのように定義するかによって『鬼滅の刃』という作品は、180度その在り方を変える……そう感じました。
無限城編はひたすら苦痛
これは連載漫画という作品形態が持つ、ある種の構造的欠陥ですよね。
「那田蜘蛛山編」では冨岡義勇と胡蝶しのぶ、「無限列車編」では煉獄杏寿郎、「遊郭編」では宇髄天元、「刀鍛冶の里編」では甘露寺蜜璃と時透無一郎。編ごとに、少しずつ柱と上弦の鬼を登場させ、少しずつ話が進んでいる間は良かったです。
随所にギャグパートがあり、各キャラに適度に見せ場があり、物語全体のおおきな謎もすこしずつ解き明かされ、テンポよく読むことができました。
しかし、話をまとめるための決戦としての無限城編、これはしんどかったですね。
バラバラになった柱たちが、各所で上弦の鬼と接敵し、それぞれにドラマを繰り広げ、辛勝を収めたり、相討ちになって果てていく様は、読んでいて辛かったです。
展開そのものもそうですが、ひたすらシリアスパートが続くので、精神的に解放されないのがしんどいんですよね。
とは言え、刀鍛冶の里編以前と同じやり方では、ズルズルと話が長くなってしまうので、まとめるのには無限城編のやり方が最適なのかもしれません。
それでも無限城が崩壊し、地上に出て「日の出まで○分」がはじまったときは目眩を覚えましたけれど……。
敵も含め、登場人物ひとりひとりに過去を持たせて、丁寧に描こうとすると、どうしても長くなってしまいますよね……。
転生という究極の救済策
現代の東京を最終話として、生まれ変わった鬼殺隊を描くという手法には驚きました。
たとえば胡蝶しのぶは、物語の要請上、死が約束されており、ご都合主義でも彼女が生還できる可能性はありませんでした。しかし、転生させ、幸せな生活を描けば、そんな彼女でも救済することができます。
ハッピーエンド至上主義者として、この結末は素晴らしいと感じましたし、諸手を挙げて歓迎したいです。
また、作中でも天国と地獄という表現がされましたが、死んで天国にいった人間は、現代東京に転生していますが、地獄に落ちた鬼は、ひとりたりとも現代東京に転生していません。
多くの鬼が、その死の間際において「鬼になるしかなかった」哀れで同情心を誘うエピソードが描かれていますが、最終話において転生した彼らが描かれることはありません。
この姿勢は、とても素晴らしいと感じました。
創作物において悪役を格好よく描くのはありですが、最終的に彼らを肯定するのは、良くないことだからです。読み手は作品に感化され、影響を受けます。ひとを殺した鬼を肯定しないという作者の強い覚悟を感じました。
ただ、ひとり憐れに思うのは珠世です。
鬼舞辻無惨戦において彼女の功績は、計り知れないでしょう。しかし、彼女が善き鬼であったのは、ここ数百年の出来事で、彼女は自らの夫や子を、その手に掛けてしまっています。地獄落ちは免れなかったのでしょう。
しかし、もし犯した罪の多寡に応じて、地獄での刑期が決まっており、償いを終えたとき転生することができるならば、愈史郎と再会して結ばれることを心から願うばかりです。
終わりに
気になっていた作品だったので、読み通すことができて良かったです。
炭治郎には途中から感情移入できなくなってしまい「なんか、ヤバい鬼殺隊の一員」としか見えなくなってしまい、終盤は、なぜか産屋敷に感情移入して「かわいい子どもたちが、ひとりでも多く生き残りますように」と念じながら読んでいました。