上とは全然、別のおはなし。
『ファウスト』に掲載された、笠井潔氏とTYPE-MOONの奈須きのこと武内崇との対談を読んでいて興味深い点を見つけた。
それは笠井氏が本格ミステリについて語っている場面なのだが……。本格ミステリは「論理的な推理」と「お化け屋敷=ゴシック趣味」という二つの要素から成り立っているらしい。そして舞城王太郎・佐藤友哉・西尾維新の3人は、名探偵や密室と言った要素は継承しているが、謎を論理的に解くという面が希薄だと言う。
これと同じようなことを、自分は漠然と考えていた。
2年前。自分は吸血鬼、法王庁、神父や銃器と言ったものが描きたくて『フィレンツェの詩』という小説を書いた。これは、吸血鬼の悪魔祓い師・多重人格の死刑執行人・罪を犯した異端審問官の3人が協力してフィレンツェをクトゥルーの手から守るといった話だった。
1年前。自分は鬼、刀、人喰いや女子高生と言ったものが描きたくて『彼女の夢』という小説を書いた。これは、自分の身に眠る鬼に気付いてしまった女子高生が、宮司や殺人鬼と協力して人喰いを倒すといった話。
そして今。自分はまだ言葉にできない物を語りたくて、魔女ッ娘を主人公にした小説を書いている。別段、魔女ッ娘に興味はない。と言うより、自分が知っている魔女ッ娘は『魔法使いサリーちゃん』と『おじゃ魔女ドレミ♪』だけで、魔女ッ娘に対する知識は全くと言っていいほどない。それでも魔女ッ娘を手にとったのは、「論理的な推理」を行うために「密室殺人」を登場させるような感じだと思う。恐らく、自分の物語りを行うのに、魔女ッ娘が必要だったのだ、だから使った。
けれどそれではいけないのかもしれない。
理想とするのは「論理的な推理」が好きでかつ「バラバラ殺人・アリバイトリック」が好きであるように。自分が語りたい物語を語るのに、自分が好きな要素を取り上げなければならないのかもしれない。
勿論、それは「自分が魔女ッ娘を好きになる」ということには繋がらない。外装を整える創意工夫のためには、自分の魔女ッ娘を、確固たるものに昇華し愛せ、ということ……なの、だろうか。
実を言うとよく分からない。
別に既存の魔女ッ娘には全然興味がないし、自分の作る魔女ッ娘さえしっかり作られていればいいと思う。けれど或いは、魔女ッ娘を描き、それが魔女ッ娘であると公言するのに、既存の魔女ッ娘のことは知らなければならないのかもしれない。
先に挙げた吸血鬼の例で言ってみれば。『ヘルシング』を読んで吸血鬼を描きたくなった、でも本家本元の『ヴァンパイア』には興味がない。けど、吸血鬼物を書く上で『ヴァンパイア』は読まなくてはならないのかもしれない。どうしようか。……というような具合だ。
魔女ッ娘に本家本元や、元祖といった物はあるのだろうか? ちょっとは、調べるべきなのかもしれない……。
ちなみに西尾維新著『新本格魔法少女りすか やさしい魔法はつかえない。』は未読です。