雲上ブログ〜謎ときどきボドゲ〜

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土屋賢二『われ笑う、ゆえにわれあり』

 土屋賢二氏は森博嗣の著作『今はもうない』の解説を書いており、さらに森博嗣の日記に、

編集者「先生、エッセイは書けますか?」
森博嗣土屋賢二さんぐらいのものでしたら」

 という逸話があったので、森100を始めるとしたら、これからと決めていた。
『われ笑う、ゆえにわれあり』は二十篇ほどのエッセイを収録したもので、著者独自のブラックヨーモアと自嘲性に満ち溢れている。さわりを紹介しよう。

 以前から書きとめていたものがかなりの量になり、出版をしきりに勧めてくれる人がまわりにいなかったので、自分から出版を交渉した結果がこの本である。事前に何人かの人に読んでもらったところ、「面白くない」と言う者と、「つまらない」と言う者とに意見が分かれた。なお、公平を期するために、「非常にくだらない」という意見もあったことをつけくわえておこう。意見をいってもらったおかげですっかりケチがついたものの、少なくとも本書を正しく理解する人がいると知って、私は意を強くしたのである。
(はじめにより)

 これは本書の冒頭に書かれたものであると同時に、本書全体を象徴している一節。何て言うか、読んでのとおりである。ブラックユーモアと言うか、自嘲と言うか、自虐と言うか、捻くれていると言うか、面白くないと言うか、つまらないと言うか、非常にくだらないと言うか。

 また先日、同僚と話をしていて住居が話題になったとき、次のような会話がなされたことがある。
同僚「部屋数はどれぐらいですか」
わたし「五〇LDKになるところを三LDKに区切って使っています」
「そ、そんなに広いんですか。それなら値段も高かったでしょうね」
「いえ、たいしたことはありません。十億円はしませんでした」
「えーっ!」
(わたしのプロフィールより)

 上記は「著者が嘘吐きか否か」という文脈の中の一節で、著者はこの対談を紹介した後、「五〇LDKに区切れないことはない&確かに十億円はしなかった=わたしは嘘吐きではない」と述べている。
 ところで、自慢ではないが、秋山はとにかく笑いのガードが低い。「布団が吹っ飛んだ」「隣の柿はよく客食う柿だ」ぐらいで既に半笑いで、「青色ヤキソバ」や「煙草屋」に到っては爆笑の渦に飲みこまれ呼吸困難にさえ陥る。特に先日などは、砂糖と佐藤を掛けあわせた洒落に笑いそうになり、堪えたらコーヒーが逆流して鼻に……涙が溢れた。
 当然、本書も笑いなくしては読めなかった。特に三篇目の「助手との対話」。これは著者が会議をサボるために、助手に偽証を迫る対話を記したもので、著者は対話内において哲学知識を駆使して、助手を煙に巻く。これがもう、笑ってしまって笑ってしまって、中々、前に進めないのだ。笑うことに体力を使ってしまい、目が全然、文章を追うことができない。
 仕方がないので一日二篇ずつ読むと決め、今日、ようやく読みおえた。ただし、今日は九篇読んだ。――そう、全編に渡りパターンが同じなのだ。これでは全国の新米お笑い芸人にとって神様的存在である秋山でさえ、飽きざるをえない。
 それでも最初の十篇が楽しめたことは事実だ。飽きさえしなければ、残りの九篇も楽しめ、あまつさえ他の著作も求めたことだろう。悪い経験ではなかった。
……今、奥付を確認したが、十年前の本だ。十年もあれば作風も変わるだろうし、その筆致にも磨きが掛かっているかもしれない。……気が向いたら、最近の著作も探してみよう。