雲上四季〜謎ときどきボドゲ〜

本と涙と謎解きと、愛しさと切なさとボードゲームと

ビジネスモデルについて

 高校時代の先輩で、月読さんという方がいます。先輩はマーケティングを専攻されているようで、それに際して色々とお話を伺えたのですが、そのひとつとして挙がったビジネスモデルという概念に戸惑いを覚えました。
 秋山の中で、ビジネスモデルと言うと、それは何らかのビジネスを運行するためのシステムです。例えば理論家や学者さんが考え出したり作ったモデルを、実際に働く人が買って、そのモデルの指示通りに会社運営を行えば成功する……と言うような感じだと思っています。実際には「無人でも運行することができる」という要素がビジネスモデルには含まれるらしいですが、その正確な意味は判りません。多分、モデルの発案者やシンクタンクが逐一チェックしなくても大丈夫、という意味なのだと推測します。
 イメージしやすいように、はてなダイアリーを例に挙げて考えてみましょう。実を言うと秋山は、はてな人力検索を使ったことがないですしアンテナもあまり使ってません。ですから、はてなが提供しているサービスのすべてを完全に受け止めて使いこなしているわけではないですが、このはてなダイアリーに限って言えば、そこそこに理解しているつもりです。記事の編集方法、キーワードの登録の仕方、リファラの飛ばし方、等々。その他にもはてなダイアリーブック化サービスや、アンテナ。何とか村……とか言うのもありましたよね。そういった各種サービスが、はてなダイアリーを他のブログサービスよりも魅力的にさせています。そしてこのはてなダイアリーは、有料バージョンに変更すれば、アンテナに登録できるページの量が増やせたり、大きな画像が貼れたり、さらに快適に利用できます。ここには既にはてなの運営サイドが積極的に宣伝せずとも、閲覧者が自らはてなのシステムを知ろうとして、有料バージョンに登録してくれるという「無人で運行することのできるビジネスモデル」が完成しているのではないでしょうか。仮にはてなの様々な権利が売りに出されたとしたら、結構な値段がつけられると思います。
 ところで秋山は――これは性格的なものかと自己分析しているのですが――文脈に頼るのが嫌いです。ある特定のコンテクストの中でしか意味をなさないテキストや、前提を知らなければ判らないような概念、特定のパラダイムの中でしか通用しない理論、そういったものが嫌いです。もっとも、嫌いです、と言ってしまうと、この世にあるあらゆるものが何らかの文脈に組み込まれているので、それはすなわち世界のあるもの全部が嫌いなのか、という問い発生してしまいます。ですから、そういった煩雑な問いを回避するためにも、ある種の人文科学的な思考を採用しています。
 人文科学的な思考がどういったものか説明するのには、それとは別な思考を説明するのが手っ取り早いかと思います。例えば社会科学的な思考。これはその時間と空間の制約をもっとも受ける思考です。現在の日本において殺人とか未成年者の飲酒や喫煙は法律的に許されないわけですが、少し前の日本であればそうでもなかったでしょう*1。また、日本の外に目を向ければ殺人を許していないわけでもない法律や、そもそも法律がない土地だってあるわけです。後、数年もしたら法律とか常識とかいったものは多様に入れ代わり、現在の社会科学的な思考は使い物にならないでしょう。社会科学は「今、ここ」でしか役に立たない思考と言えるのではないでしょうか*2。次、自然科学に関して。これは先ほどもちらりと挙げましたが、パラダイム=前提の存在ですね。中世においては天動説が、近世においてはニュートンの物理学が、現在においてはアインシュタイン相対性理論が、自然科学を語る上での大前提なわけです*3。したがって自然科学と社会科学を比べて見ると、後者が強烈に時間と空間の制約を受けるのに対し、前者は時間的な制約を数十年おきごとに受ける程度。たまに遺跡とかが発掘されて、歴史の教科書が改訂されてしまう……みたいなイメージでしょうか。
 それでは秋山が使う人文科学的な思考に関して。これは前提を設けず、文脈の影響を受けません。先ほどの例で言えば、今はもう使い物にならない天動説や、今でもそれなりに使えるニュートンの物理学や、恐らく普通に使えるとアインシュタイン相対性理論がすべて等価値なのです。キリストの教えも、孔子の教えも、ムハンマドの教えも同じなわけです*4。この等価値の――人文科学的な思考を持つ秋山の中で、現在、成功しているであろうはてなダイアリーの価値は、今以上に落ちることはありません。ええと、盛者必衰でしたっけ? どんなに勢い盛んなものであってもいずれは必ず衰えるものだというやつ。これで行けば、今はいい感じに好調なはてなダイアリーもやがては不調となり、最終的には……あー、はてなダイアリーを利用させてもらっている人間として、こんなことを書くのは失礼ですね。自分のファッションのために、説を変えるというスタンスは好きじゃないですが、自分の好き嫌いなんてどうでもいいですし。
 はてなは止めて、作家で考えましょう。デビュー作は傑作で、第二作と第三作も素晴らしい出来だったのに、第四作は駄作でその次も駄目で、それっきり小説界から姿を消してしまった作家。この作家の世間的な評価を折れ線グラフで表したならば第三作までは上昇しているのに、それ以降は下がっている……と言うような感じになると思います。秋山の場合、基本的に評価が下がると言うことはなく、停滞する……に近いですね、つまり第四作以降は第三作の評価から上がりもしなければ落ちもしないわけです。第四作以降、どんなに駄作ばかり書いたとしても、秋山の中でその作家は面白い作品を書く作家なのです*5
 さて、現実的に考えてみると、色々な科学的思考の中庸を取るのがベストでしょう。特にビジネスの場合。多角的視野でモデルを捉え、未来を予測し、少しでも多くの黒字を出すように心掛けなくてはなりません。これをギャンブルで言えば、引き時を知れ! ということでしょうか。ポンポンと当たりが出たら、欲が出てしまい、気がついたら利益分を失っていて、元手も失っていたと言うような。いい感じに儲かったところで、すぱっと引き上げる。これが大事なのだと思います。例えば先ほどの第四作以降が駄作の作家を抱えている出版社がギャンブラーだとしたら、第五作あたりでその作家を見限るのが正しいのでしょうね。だって、それ以上その作家に書かせても、第一作から第三作までの間で得た黒字を失いかねないのですから。
 まあ、そういったことをグダグダと考えつつ*6、秋山はビジネスモデルをそういうもの――「無人で運行し利益を生み」かつ「引き際が判っている」システム――だと考えたわけです。*7
 ビジネスモデルを構築する上で、その引き際までも、人造人間の時限自爆装置のように内側に取り入れてしまうならば、それは実際に動かし始める時点ですでに完成されていなければならないのが条件となるでしょう。人造人間を用いて敵国の兵器を圧倒できているうちは、彼らを自爆させる必要はありません。人造人間が古くなり、たとえ彼らが自爆したとしても敵国に深刻なダメージを与えることが出来なければ意味がありません。彼らを自爆させるベストのタイミングは、人造人間を自爆させることでしか敵国にダメージを与えることのできないその微妙な期間だけです。
――とは言え、ビジネスの世界で、実際にそんなタイミングを狙うのは難しい。解決策はふたつあります。ひとつは非常に短いスパンで運営すること。例えば、他社にパクられることまで考慮した上で、短期間で一気に利益を上げて、スパッと切り上げるという手段。もうひとつは、無人で運行せずに開発者やシンクタンクに絶えず監視させて、バージョンアップを欠かさないという手段。まあ、どちらにせよビジネスモデルが構築され終わったときには、それが完成されたと言って差し支えないでしょう。
 以上が秋山の意見です。秋山は口頭よりも文章の方が得意なので、ここまでロジカルには行かなかったが、大体を伝えることができたと思う。秋山の意見に対し、先輩は「それは違う」と言い切った。その理由は、ビジネスモデルが最終的にどうなるかなんて誰にも予測はできず、実際に動かしてみて、それを検証して、初めてモデルは完成するのだから、だそうだ。
 この意見に対し秋山の反論はふたつ。ひとつは不可能を可能にすること、つまり誰にも予測しえない未来を予測することこそがシンクタンクの仕事であり、ビジネスであるはずだということ。何故なら、最終的にどれぐらいの利益を生むか、その見込みがなければモデルが採用されることなどありえないし、たとえそれが机上の空論であったとしても、現実的でありさえすれば、企画書を羅針盤代わりに、現実をそれへ近づけようと努力できるからです。もう一点は、モデルを完成させるのに検証を行わなくてはならないとしたら、あらゆるモデルは過去にしか存在しないことになります。これは非常に後ろ向きな思考で、こんな思考でものを考えていれば、二番煎じ的な発想しかできなくなるということ。
 とは言うものの検証することは確かに重要です。どんなに理論上、黒字になるモデルであったとしても、実際に動かして見たときそれが赤字になるなんて例はざらにありますし。模試でA判定が出たからと言って、その大学に必ず受かるというわけではないのと同じように。編集者が売れると見込んだ本が売れないこともあれば、トラを説得し数百万を借り受けることができたとしても、その企画が成功するとは限りません。確かに、確かに検証は重要です。だがしかし、全てではない。検証とはあくまで手段であり目的ではないのです。成功すると信じているビジネスが、現実に成功するか否かを検証するのと、検証するためにビジネスを起こすのとでは雲泥の差があります。モデルを検証するのは、自身の構築した理論の裏付けを取ることに過ぎません。しがたって「検証しないうちには何ともいえない」などという意見は許されません。検証とは「見込みと現実とがどれだけ離れていたか、どれだけ自分の認識が甘かったか」を確かめるために使うべきでしょう。
 以上、秋山散人最強理論より。
 実際のところ、口頭で伝えられたこの秋山の考えが、どれぐらい先輩に伝わったのかは判りません。まあ、口頭で伝えようが文章で伝えようが、自身の思考が誰かに伝わるのは、見知らぬ誰かに届けたラブレターに返事が来るようなもので、基本的には、ないことなんでしょーねー。多分。


 無頼派は中々、美味しかったです。書いてる途中で飲み終えてしまったので、量的には少々、物足りないですが……。途中から文章が変になってるのは、気がついたら敬体が常体になっていて、慌てて敬体に直したからです。別に酒のせいにはしませんよ。酔ってないですし*8

*1:あまり詳しくは知りませんが、数十年前とか、百数十年ぐらい前でしょうか

*2:なんて書いてみたが、実際のところ秋山は社会学大好きッ子で、認知科学が第一志望で、言語学と哲学が第二志望で、社会学が第三志望でした。

*3:多分、アインシュタインの次とかもありそうですが、深く知らないし文脈にそれほど関係しないので割愛

*4:余談だが秋山は、クリスチャンな友人には自身もクリスチャンだと言っている。日本人の秋山は白人にもアングロサクソン系にもなれないが、プロテスタントにはなれる。

*5:まあ、誰かに話すときは、第三作まではと断わりを入れますが

*6:グダグダと考えるのは、秋山に課せられた仕事のようなものだ。

*7:ここらへんにあった文章はカットしました。

*8:「酔ってないって言う人に限って酔ってるのですよ秋山さん」「や、本当に酔ってないんですが」