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劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語のネタバレします

 先日、川崎にて『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』を観て参りました。
 公開開始から一週間か二週間。既にフォロワーの中には何回も見ている方がいて、いわゆる『エヴァンゲリオン』や『おおかみこどもの雨と雪』と同じような盛り上がりを感じたのは、ものは試しにとイワイシさんと観に行くことにしました。


 さっくりネタバレしますので、気になる方は回れ右推奨。
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 十五分ほど遅れて席についたのですが、ちょうど忍野扇による注意点が始まったところで、タイミング的には、むしろバッチリでした。
 始まってからは、いきなりバトルシーンで掴みもバッチリ、映像的にも演出的にも面白く観ていたのですが、ストーリーとしては既視感が凄まじかったです。その内に、たぶん、この作品を表現するキーワードは「意表を突く」と「虚淵なりの回答」なのだろうなと自分の中で落ち着きました。雲上ブログでは、当初、この映画の感想は書かない予定でしたが、ちょっとすっきりしたので、やっぱり書いておこうと思い直しました。
 以下、だらだらと。


 まず「意表を突く」ことについて。
 アニメ版における第3話に象徴されるように『まどか☆マギカ』という作品は、基本的にドッキリと言うか、どんでん返しが大きな要素を持っている作品であるように思います。『叛逆の物語』においても、ナイトメアと戦う魔法少女の茶番劇からの、見滝原が閉鎖された空間であるという気付き、魔女の結界であるという気付き、自分が魔女化していたという気付き、Qの陰謀という種明かし、悪魔によって再び書き換えられる世界の法則、悪魔による世界の始まりと目まぐるしく物語の様相が転がっていきます。この起承転転転転結みたいな展開は、言ってみれば「視聴者を驚かせること」を重視した結果であり、物語としての完成度は逆に欠いてしまっているのではと考えます
 とは言え、この物語構造は、終盤の怒涛の展開がもたらすカタルシス感に寄与していますし、バランスの整った物語が、必ずしも作品として優れているわけではないので、特に気になりません。


 次に「虚淵なりの回答」について。
 や、個人的には、こっちの方が遥かに重要で、深く胸に響いたポイントなんですよね。
 いちばん好きなキャラが佐倉杏子であるという点を差し引いても、風見野市を目指しバスに乗るも、見滝原市から出られないというシーンが最も記憶に残っています。あの、少しずつ夜を迎え、画面が暗くなっていて閉塞性が増す感じや、秘密に肉薄し、焦燥感が掻き立てられていく感じは、ほんとうに素晴らしい演出でした。
 ただ、あの閉鎖環境感は秋山にとって、比較的、見慣れたものでもありました。2001年に奈須きのこ@TYPE-MOONが発表した『歌月十夜』は、同じ一日を延々と繰り返しつつも少しずつ世界の秘密を探るゲームでしたし、2003年に田中ロミオがシナリオを手掛けた『CROSS†CHANNEL』は外の世界が存在しない閉鎖環境を舞台としたものでした。他にも、ぱっと思いつきませんが、数多くのエロゲーや、小説で言えば上遠野浩平や西尾維新みたいな作家の作品にも、類似点が見受けられるような気がします。
 なので、観ていて思ったのは、これはアニメという形を使って、虚淵なりに、過去作品に対するアンサーを示したのかなあ、と。


 なんか、ちょっと、まとまりませんが、とりあえず、こんなところで。
 シーンとしては、五人の魔法少女による変身シーンと、さやかとほむらの会話シーンと、ほむらが魔女化を受け入れるシーンと、通学路で紅茶を飲むほむらが好きです。
 後、観終えた後、Twitterを眺めていたら「すべてが分かっているさやかは、杏子が望むように行動していたのではないか」という解釈を見かけて、さやかが好きになりました。