こんにちは、藤本タツキの読み切り漫画『ルックバック』が良かったので少しだけ語らせてください。
ネタバレありですので未読の方は、読んでから戻ってきていただければ幸いです。
『ルックバック』が読める場所
ここで読めます。
考察は、しません
本記事では、いわゆる細部の情報を汲み取って考察したり、一読では気づかないような点を紹介したりはしません。
Twitterを見るとルックバックというタイトルがダブルミーニングどころか3重にも4重にも意味を持っているであるとか、1コマ目に「Don't」、最後のコマに「In Anger」とあることからOasisの『Don't Look Back in Anger』を引用しイギリスのテロと紐付けたり、あるいはシンプルに京都アニメーション放火殺人事件について言及したり。
様々な解釈が見受けられますが、この記事では、そういった諸々と紐付けて考察したり、解説したりはしません。
物語を愛する人間のひとりとして、そういうことを野暮に感じる。
という以上に、今回ケースにおいては、姿勢として相応しくないように感じるからです。特に京アニ事件は、あまりに凄惨で、あまりに衝撃的で──2年という時の流れは、まだ充分でなく、直接的な言葉で語ることはできそうにありません。
と言うわけで、本記事は、本作を読んで素晴らしいと感じた。どこがどう素晴らしかったのか、というただの感想です。
感想
創作をテーマにした作品は、いつも心に突き刺さります。
原体験としてあるのは日本橋ヨヲコ『G戦場ヘヴンズドア』です。
日本橋ヨヲコは週刊ヤングマガジンで連載されていた『極東学園天国』で惚れ込んで以来、ずっと追っています。『G戦場ヘヴンズドア』を経てからは、漫画をテーマとした漫画作品が面白いなと思い、田畑由秋・余湖裕輝『コミックマスターJ』は全巻一気読みしましたし、有名どころでは大場つぐみ・小畑健『バクマン』や、島本和彦『アオイホノオ』も途中まで読んでいます。
ちょっと珍しいところでは、きづきあきら『ヨイコノミライ!』や、漫画ではないですが、石黒正数『ネムルバカ』やひぐちアサ『ヤサシイワタシ』も好きです。
創作の神に選ばれし者の恍惚と不安、選ばれなかった者の焦燥と絶望。
これらに、どうしようもなく惹かれてしまうのは、わたし自身が実体験として、小説を書きつづけた過去があり、以前ほど熱意を持って書けなくなってしまった現在があるからでしょう。
藤本タツキ『ルックバック』は、創作をテーマとした傑作のひとつとして、わたしの人生の読書歴に、その名を銘記することになる。京本の影響を受け、藤野が絵の練習に打ち込み始めたとき、そう確信しました。
読んでいて、いちばんワクワクしたのは、どこでしょうか。
藤野が京本に先生呼びされて、田圃道を雨のなか飛び跳ねながら帰ったところ。それから漫画を再び描きはじめて、新人賞のためにふたりでがんばったところ。準入選を果たし、何本も読み切りを載せたところ。
このあたりは、ほんとうにてらいなく、ストレートに喜びを享受できましたね。
苦しくなりはじめたのは、やっぱり京本が美大に行って、ふたりの道が別れてしまってからでしょうか。
総評として審査員に評価された「話とキャラクター」と「背景」の内、片方が失われてしまったことで、藤野キョウは描きつづけられなくなるのではと思いましたが、順調に『シャークキック』が刊行されていく様子に、藤野の並々ならぬ努力が見て取れました。
2016年1月10日のニュースには鳥肌が立ちました。
「これは、そういう作品だったのか!」と気づくと同時に、京本の死に深い悲しみを覚え、涙を禁じえませんでした。
「出てこないで!!」のコマが扉のスキマから、過去の京本に元にやってくるという、突然のSF展開には驚きを覚えると同時に、その後の展開には固唾を呑んで見守りました。
いわゆる「何度、繰り返しても歴史は修正され、同じ結末に至る」系の作品なのか? 読者は、黙って京本の運命づけられた死を見守ることしかできないのか。そう、諦めかけていただけに、漫画を止めて空手道場に通うルートに入った藤野によるカラテキックが炸裂したときは、
間に合った! このルートなら京本は救われるんだ!
と、喝采しました。
しかし、現実の藤野は、この可能性世界における顛末を知りません。
彼女が知ったのは、自分が京本のことを想い続けていたのと同じくらい、あるいはそれ以上に、京本が藤野のことを想い続けていたこと。そして京本と過ごした日々……。
わたしは『ファイアパンチ』は第1話から追っていましたが、終盤の展開に納得がいかず『チェンソーマン』は完全に未読です。
果たしてシャークマンの「シャーク様の出番だぜ!」が、どのような意味合いを持っているかは知りませんが、それが藤野自身に対するエールになることを願うばかりです。
創作をテーマにした作品の場合、天才と凡人、才能と努力、創作を志し続けるか諦めるかといった題材とは切っても切れません。
京本はある意味において、ひとりで完結した存在でした。天才と呼べる存在だったのかもしれません。藤野の存在に関わらず、京本は絵の練習を続け、美大に入り、あの事件に遭遇します。
一方の、藤野は天才とは言い難いでしょう。物語作りと魅力的なキャラクター作りに才能があった程度で、そこに努力を加え、京本という味方が加わったことで漫画家への道が切り開かれました。しかし、途中で努力を止め、京本と知り合えなかった場合、どうなっていたでしょうか?
──空手女子になるのです。
4コマひとつをキッカケに分岐した2つの世界を描くことで、努力した未来としなかった未来があることを示す手腕は、非常に秀逸だと感じました。
デジタルゲームであれば、選択肢を元に2つのルートを元に、プレイヤーに俯瞰してもらい、補完してもらえれば済みますが、漫画は一直線の媒体です。物語的にも、うまい着地点を見いださなければならないので、かなりの構成力や描写力が求められると思いますが、藤本タツキは、見事にその難解な離れ業をやってのけたと感じました。
終わりに
冒頭に、考察や解説に関して、すこし書きましたけれど、Twitterを見ると、そういうアプローチで考えている方が多い印象でした。作品の受け取り方は、人それぞれなので自由ではありますが、自分と同じように読んだ方が少ないような気がしてしまい、あわてて書いた次第です。