藤本タツキの『ファイアパンチ』を読みました。
『ジャンプ+』連載時に1話から追っていたので、実質再読となります。ネタバレありなので未読の方は回れ右推奨です。
再読しようと思ったきっかけ
初読時は辟易することが多かったです。
読者を驚かせるための超展開ばかりで、いかにもウェブ連載のマンガだなと感じていました。ここまで意外性のある展開、気になる続きを用意しつづけないと駄目なのかしら? そう思いながら最後まで読みましたが、心から望んでいた結末、ではありませんでした。
『ファイアパンチ』のラストシーンが記憶に新しかったので『チェンソーマン』はスルーしました。
が、その後『ルックバック』を読み、改めて興味を抱いて『チェンソーマン』を読んで、『さよなら絵梨』を経て『ファイアパンチ』に帰ってきました。
『ファイアパンチ』はサーガである
ここで言う「サーガ」は「壮大なスケールで描かれる物語」=「大河小説」としてのサーガです。
栗本薫の『グイン・サーガ』みたいな。
まあ『ファイアパンチ』は全8巻なので、連載漫画としては短めなんですけれど。
初読時は1週間に1話のペースで進んでいくので、第1話からずっと地続きでした。
妹、そして村の皆を殺し、自身の肉体に消えない炎を与えたドマへの強い復讐心。ときを経て、ドマはすっかり変わってしまったけれど、そんなドマとどういった形で決着をつけるのか。そして魅力的に過ぎるトガタは、どのようにストーリーを盛り上げてくれるのか。
そんなワクワクを胸に、毎週『ファイアパンチ』のサムネイル画像をタップしていました。
「おかしいな?」と思ったのは、氷の魔女が現れてからです。
神を演じ、神として崇められるアグニを、どのような目で見ればいいのか困惑しました。
今回、改めて単行本で一気読みした結果、本作が序破急の3部構成になっていることが明確に分かりました。
序章では「覆われた男」、頗章では「覆う男」、旧章では「負う男」。
この表記って連載時もありましたでしょうか? 単に読み飛ばしていただけかもしれませんが、単行本だと明確に「あ、ここで章が変わったな」と受け入れられます。
章が変わっても、アグニ自身はおおきく変わりません。
主人公として扱われたり、神として扱われたり、ただの男として扱われたり……どちらかというと、彼の周囲が変わっていきます。
アグニ自身は、ドマに焼かれた頃から、それほどおおきく成長しているわけではなく、トガタに主人公と呼ばれたり、信者に神様と呼ばれたり、ルナに兄さんと呼ばれたりして、その都度、呼ばれるがままに生き方を変えていきます。
時間の経過と、在り方の推移。
物語全体を俯瞰したとき、これは超展開のために二転三転したのではない、ひとりの男の生き様を描いた壮大な物語だったのだなと受け取りました。
最終話は、すこし雑に感じますが、それでも愛おしく感じます。
終わりに
本作と『チェンソーマン』は同じ世界感なのでしょうか。
現代の人間にとっては、旧世代人の技術は理解できず、祝福としか認識できないという点が、『チェンソーマン』においてマキマが言っていた「人なら誰でも持っていた第六感」を思い返しますね。