任天堂から2017年に発売された『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』を遊びました。
プレイを通して思ったことを書き残すことにします。ネタバレありですので、未プレイの方は回れ右推奨です。
『ブレス オブ ザ ワイルド』について
数々もの団体が主催するGOTY(Game of the Year)、その中でも特に権威があるとされているGolden Joystick Awards、Game Developers Choice Awards、D.I.C.E Awards、The Game Awardsの4大GOTYを総なめにした本作。2010年代を代表するゲームのうちの1作であることは間違いないでしょう。
既に多くの専門家が、言葉の限りを尽くして語っているでしょうから、今さら、わたしが、なにかを語るほどでもないでしょう。
と言うわけで、本記事ではタイトルにも書いた通り、オープンワールド初心者が本作を通じて、どう感じ、どう受け取ったかという感想を中心に書いていきます。
遊ぼうと思ったきっかけ
『ゼルダの伝説』シリーズ作で既プレイなのは『神々のトライフォース』(1991年)と『夢をみる島』(1993年)だけです。いずれも小学生の頃にハマって、何度も遊びました。
中学に入り、プレイステーションを買い与えられてからは、概ねソニーとスクウェアのゲームを中心に遊び、任天堂からは遠ざかっていました。
『時のオカリナ』と『ムジュラの仮面』の2作は、特に評価を高く感じていて、気にはなっていますが未プレイです。後、最近、リメイクされた『夢をみる島』は懐かしさもあって遊んでみたいですね。
そんな熱心なファンでないわたしが『ブレス オブ ザ ワイルド』を遊ぶことを決意したのは、本作がオープンワールドの名作であると名高いからです。
オープンワールドという概念を知ったのは、コロナ禍に入ってからです。
PS2を最後に(2006年頃?)コンシューマゲームから離れ、かろうじてPSPと3DSは持っていたものの、ソーシャルゲームをぽちぽちする程度で、2010年からはボードゲームにがっつりとハマり、2020年のステイホームをきっかけにデジタルゲームに戻ってきました。
そこでわたしが知ったのは自身とデジタルゲームの隔絶と、数年前まであった日本と世界のゲームの乖離でした。
オープンワールドという概念も、そのなかで知りました。
『The Sinking City』と『The Elder Scrolls IV: Oblivion』を、それぞれ少しだけ遊んで、オープンワールド作品を、もっとしっかりと遊びたい! そう思ってターゲットを定めたのが『ブレス オブ ザ ワイルド』です。
定めておいて、実際に着手するまで時間が空いたのは、恥ずかしい話、値崩れを待っていたからです。
『Oblivion』を遊んだ2021年時点で『ブレス オブ ザ ワイルド』は既に4年前のゲームでした。中古市場を見ても定価とおおきく変わらず「これだったら、定価で買うよ!」と感じました。かと言って4年も前のゲームを定価で買うのも……と悩みつつ、先だって一念発起して定価で購入しました。
長らく遊びたいと思い続け、期待しすぎてしまい、肩透かしを受けたらどうしようか?
そんな懸念すら抱きながら着手しましたが、杞憂でした。
激烈に面白かったです。
オープンワールド初心者が考える『ブレス オブ ザ ワイルド』の魅力
一言にまとめると『ブレス オブ ザ ワイルド』の魅力は、桁外れのフィードバックです。
そもそも、ゲームの魅力がなにかを考えたとき、わたしはフィードバック、つまり反応だと思っています。
打てば響く、その感触です。
もう少し平易な表現をすると、それまで出来なかったことが出来るようになる、分からなかったことが分かるようになる、です。
本作は、この感覚が非常に絶妙でした。
たとえばゲーム開始時。
超美麗オープニングムービーが流れるわけでもなく、長々としたプロローグもなく、プレイヤーは迅速にリンクを操作することができます。
世界観への滑らかな没入感はありませんが、すぐに遊び始められるというのはゲームとして理想的です。
また、いかにもなチュートリアルもなく、最低限のことは教えつつも、後はプレイヤーに任せると言うか、自ら触って覚えてもらうスタイルで、試せる喜びがあります。
回生の祠を出ると、そこは、もう広大な大地です。
木の枝を拾って振り回したり、気に登ってリンゴを取ったり、斧で木を切り倒したり。もう、この時点でだいぶ楽しいです。
時の神殿に近づくと、ボコブリンという最弱の雑魚モンスターが現れますが、ビビって距離を取ります。そう、手元にあるのは木の枝だけ、そして敵モンスターの強さは未知数。避けられる敵ならば避けた方が安全です!
始まりの塔を起動してからは、4つの祠を回っていくことになります。
ひとつ祠をクリアするたびに、ひとつアクションが増えていきます。
その他に、料理を楽しんだり寒さ対策を怠って震えることになったり、イワロックと遭遇して慌てて逃げたり、敵の目の前で緊張して左スティックを押し込んでしゃがんだり、ガーディアンに対して恐怖心を抱いたり……。
長々と書きましたが、つまりは懐が広いってことですね。
ゲーム序盤は、持て余すくらいの自由度を、適度に縛ることで自然にチュートリアルを受けられるデザインがされています。ひとつ何かができるようになると、次にできることが現れて、少しずつ世界が、ゲームが拡張されていくのを実感します。
最たるは、パラセール入手直後ですね。
閉ざされた台地の時点で、だいぶ広い感がありましたが、実はゲーム全体で見ると、ぜんぜん一部で、世界がまだまだ広大に広がっていることが分かります。
そして、ハイラル王には、双子山を越えてカカリコ村を目指せと言われますが、もうこの時点でどこに行ってもいいわけです。ミッションを無視して、ガノン討伐に臨んでもいいですし、好き勝手に旅をしてもいい。突然の自由に困惑するくらいです。
わたしはオープンワールドに不慣れということもあり、素直にゲームを進めました。
見かけた祠を攻略しつつ、カカリコ村のインパを訪ねて、ハテノ古代研究所のプルアを訪ねました。その後は各地の塔を解放しながら、アッカレ研究所を目指しました。
克服の証は、すべてがんばりに捧げました。
わたしは『ロマンシング サ・ガ』の頃からザコ敵との戦いは避ける性格です。本作においては、どんなにザコ敵を倒してもレベルが上がるわけではありません。武器は得られますが、ダンジョンの奥地にある宝箱からでも武器は入手できます。敵との遭遇を最低限にして、踏破できる領域を増やすことができるがんばりこそ正義、がんばりこそ至上と考え、がんばりを最優先で育てました。
はじめて足が止まったのは、すべての塔を解放したときです。
それまでは新しい土地を訪ねるのが楽しくて、地図を広げられるのが楽しくて、がむしゃらに走っていましたが、すべての塔を解放した後は、もう神獣に立ち向かうしかなく「ついに、このときが来てしまったか」と嘆息しました。
さすがにハートを上げつつ、最初に挑戦したのは神獣ヴァ・ルッタです。
ハイラルの地を探索していたときにシド王子に出会い、ゾーラの里に来るよう言われていたので神獣ミッションとは思わずに着手してしまったのです。
しかし、結果的にヴァ・ルッタを最初に選んだのは良かったです。
シド王子と共に挑む神獣ヴァ・ルッタ戦は、本作においても屈指の名シーンではないでしょうか?
最初は、ちょっとウザい系と思いましたが、王子という身分であるにも関わらず、ハイリア人を背中に乗せることを厭わず、それどころか「さすがはリンク!」「キミならやれる! オレは信じてるゾ!」と肯定しまくってくれます。
「水の中なら 誰にも負けんゾ!」と大見得を切りながらも「氷のようなブロックも 古代エネルギーらしい! 対処は キミにまかせたゾ!」と出来ないことは出来ないとしっかり言うところも好印象です。
戦闘が始まった後も「リンク! 最高だ!」「いいぞ、リンク!」「さすがだ!」と声を掛けつづけてくれます。
思えばゲームがはじまって以来、ずっと不安でした。
記憶もないし、ハイラルの地は滅びた後で、この地で暮らしている人々は馬宿の近くに少しいるくらいです。探索も、敵との戦いも、ずっと孤独でした。
だからこそ、シド王子との共闘はワクワクしましたし、彼の明るさにしびれました。
神獣内で出会ったミファーも素敵でしたし、その能力ミファーの祈りも強力で、ゲーム中、文字通り何度も救われました。
二度目に足が止まったのは、四体の神獣を解放した後です。
ついに厄災ガノンを討伐するときが来てしまったのか……と気持ちが落ち込みました。
サボっていた祠巡りを行い、マスターソードを抜いてからハイラル城へ向かいます。
入城の瞬間はテンションが上がりましたね。いきなりBGMがおおきくなり、ゼルダの伝説のメインテーマを含むアレンジが流れはじめたときは、城の最奥でゼルダがまだ生きて、リンク以上に孤独に厄災ガノンを抑えつづけているという事実を、肌で感じました。
クリア後は呆然としました。
魔獣ガノンを討伐することで、ハイラルの地が永遠に平和になるという結末は良かったですが、あっさりしているとも感じました。
振り返ってみるとリンクはゲームを通して、一言も喋らないですし、日本のRPGにしてはストーリーが希薄です。随所に想像をふくらませる余地がありますし、特に4人の英傑まわりはストーリーが豊富でしたが、それを除くと、むしろ少ないです。このストーリーの薄さがオープンワールドなのか、あるいは『ゼルダの伝説』シリーズの特徴なのかは分かりません。
プレイ時間18時間40時間を捧げての、初回クリア時の達成率は14%でした。
想像以上に低く愕然としましたが『龍が如く5』をクリアしたときも達成率は32%でした。こういうものなのかもしれません。
「クリアしたし、一通り楽しんだから、もういいかな」と頭では考えましたが、探検する楽しさ、まだ見ぬなにかを見る楽しさを求め、クリア後も自然とコントローラーを握ってしまっていました。
ライネルを倒して蛮族シリーズを強化したり、イワロックとガーディアンを狩って古代兵装を揃えて強化したり真エンディングの存在を知ったので、ウツシエをコンプリートして、2回目のクリアを果たしました。
真エンディングは……泣きました。
ゼルダ姫の心中を思うだけでグッと来ますし、何よりも絶滅危惧種だったはずの姫しずかがハイラル平原に咲き誇っているのを見たときに涙が抑えられなかったですね。
ストーリーが希薄だというのは、わたしが見ていなかっただけで、ウツシエをコンプリートして、ゼルダ姫との思い出をすべて思い出したプレイヤーには、ちゃんとしたエンディングが用意されていたのですね……。
エキスパンション・パスについて、
さらに本作の世界を楽しむために、エキスパンション・パスを買おうか悩んでいます。
第1弾の「試練の覇者」は、それほど興味がないのですが、第2弾の方の「英傑たちの詩」は4人の英傑たちに関するエピソードが見られるので気になっています。
『ゼルダ無双 厄災の黙示録』について
エキスパンション・パス以上に気に入っているのが、コーエーテクモゲームスの無双シリーズとのコラボである『ゼルダ無双 厄災の黙示録』。
本作の100年前を描いた作品とのことで、リンクやゼルダだけでなく英傑たちがプレイアブルキャラクターになっているとのことで俄然、興味を覚えています。
けれど、100年前が舞台ということは、英傑たちがカースガノンに敗れ、リンクが100年の眠りにつくことは約束されているわけで、ゲームとしてはバッドエンディングになるのではないでしょうか。
100年後に救われることが分かっていても、ちょっと胸が締め付けられると言うか、痛切な気持ちになりますね。
終わりに
思いつくままにつらつらと書いてしまいました。
オープンワールド初心者ならではの視点で本作の魅力を書こうと思いましたが、結局、いつもの感想になってしまった気がします。
色々と言葉を尽くしましたが、気づいたらコントローラーに手を伸ばしてしまうという本質的な、抗いがたい楽しさを秘めているゲームです。
『ゼルダ無双 厄災の黙示録』はいずれ遊ぶと思いますが、いまは、もう少しこの世界を楽しむことにします。